大判例

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熊本地方裁判所 昭和52年(ヨ)334号 判決

債権者

川本輝夫

外二四八四名

右訴訟代理人

後藤孝典

建部明

藤沢抱一

助川裕

山口紀洋

外二二名

債務者

右代表者法務大臣

倉石忠雄

債務者

熊本県

右代表者県知事

沢田一精

債務者国兼熊本県指定代理人

上野至

外五名

債務者国訴訟代理人

中西基員

外一九名

債務者熊本県指定代理人

生垣吉計

外八名

債務者

チッソ株式会社

右代表者

野木貞雄

右訴訟代理人

楠本昇三

主文

債権者らの本件申請をいずれも却下する。

申請費用は債権者らの負担とする。

事実《省略》

理由

(本案前の主張について)

一債務者らの主張

債務者らは、債権者らの本訴差止請求のうち水俣湾事業の工事の差止を求める部分は行訴法四四条により許されない旨主張するので、以下検討を加える。

債務者県は、水俣湾事業に関し、昭和五一年九月埋立免許者である熊本県知事から公有水面埋立法に基づく水俣湾湾奥部の埋立免許を取得したこと、水俣湾事業の工事は右埋立免許に基づく埋立工事であることは、いずれも当事者間に争いがない。

ところで、水俣湾事業についての本件仮処分が行訴法四四条で排除さるべき仮処分に該当するか否かを判断するには、債務者ら主張のとおり、第一に埋立工事自体が同条所定の「公権力の行使に当たる行為」に該当するか否かの問題、第二に本件仮処分が認容された場合埋立免許処分という行政処分の効力を否定することになるか否かの問題をそれぞれ検討すべきであると考えられる。

まず、第一の問題について検討するに、行訴法四四条所定の「公権力の行使に当たる行為」と同法三条二項所定の「公権力の行使に当たる行為」とは同意義であつて、「公権力の行使に当たる行為」には法律行為あるいは準法律行為たる性質をもつて行政処分に限らず行政庁の行う一定の事実行為も含まれることについてはほぼ異論のないところであるが、その事実行為が「公権力の行使に当たる行為」に該当するためには、当該事実行為が行政庁の一方的な意思決定に基づき特定の行政目的達成のために国民の権利自由に実力を加えて行政上必要な状態を実現させようとする権力的行為といえるものでなければならないと解すべきである。したがつて、行政庁が行う事実行為であつても、単に行政庁が主体となつて行う行為であるとか、あるいは予め行政庁が決定した計画に基づいて行われる行為であるということだけでは、直ちに当該行為が「公権力の行使に当たる行為」に該当するということはできない。そこで本件についてみるに、前記のとおり、水俣湾事業は公有水面埋立法所定の埋立免許に基づいてなされる埋立工事であるところ、同法では、右免許の取得及び同免許に基づく埋立工事の主体につき地方公共団体等公の機関と私人とを何ら区別して取扱つておらず、また、地方公共団体等公の機関が行う埋立工事自体についても、特に私人が行う埋立工事とは異なつた公権力性を付与する条項も設けられていないことから、水俣湾事業に基づく工事を「公権力の行使に当たる行為」とみることはできないといわなければならない。なお、債務者らは、本件埋立工事が県の公害防止事業としてなされるものであるから公権力性を有する旨主張するので付言するに、公害防止事業としてなされる埋立工事であつても、その工事の施行自体について公権力性を付与する実定法上の根拠規定を見出し難いのであるから、埋立工事そのものについて、公害防止事業であるが故に公権力の行使に当たる事実行為であるとすることはできない。

次に、第二の問題について検討するに、行訴法四四条の趣旨が、行政処分の効力を否定することになるような民事訴訟法上の仮処分を許さないということにあることは明かであり、しからば公有水面埋立法所定の埋立工事差止仮処分が許されるか否かは、同法に定められた埋立免許処分の効力如何にかかつていると考えられる。すなわち、同法の解釈上、埋立免許処分に、例えば、埋立付近住民の人格的利益等に基づく埋立工事の差止請求権を剥奪してまで埋立工事の施行を許すという効力が付与されていると解されれば、右のごとき差止請求権を根拠として埋立工事差止の仮処分を命ずることは埋立免許処分の効力を否定することになるから許されないことになり、これに反し、埋立免許は免許取得者に公有水面の埋立権限を付与する効力を有するに止まり、付近住民の右差止請求権を剥奪したものではないと解されれば、右差止請求権を根拠として埋立工事禁止の仮処分を許しても、同仮処分は埋立免許処分の効力を否定することにはならないと考えられるからである。そこで、右のごとき見地から同法の各条項をみるに、同法四条一項二号によれば、埋立免許基準として「其ノ埋立ガ環境保全及災害防止ニ付十分配慮セラレタルモノナルコト」が挙げられていることから、免許の許否を決するに当つては、一応当該埋立が付近環境に及ぼす影響等も審査事項とされているものと思われる。しかしながら、同法の解釈上、右「当該埋立が付近環境に及ぼす影響」についての審査及び認定業務は、埋立の付近環境に及ぼす影響を一種の公益保持という見地から一般的、抽象的に審査、認定するに止まり、環境被害を受ける個々の住民の差止請求権の存否といつた点にまで立入つて個別的、具体的に審査、認定することまで要求されていると解することはできず、他に同法には付近住民の右差止請求権を剥奪したことを窺わせるに足る条項は設けられていない。しからば、同法所定の埋立免許は、免許取得者に公有水面の埋立権限を付与する効力を有するに止まり、付近住民の右差止請求権を剥奪する効力を有するものではないと解され、かつ、本件債権者らの主張する各差止請求権が、いずれも公有水面埋立法に基づく免許によつて剥奪される権利に含まれるものでないことは、その主張自体から明かである。したがつて、仮に、本件債権者らの主張する各差止請求権に基づく埋立工事禁止の仮処分を命じても、埋立免許処分の効力を否定することにはならないといわなければならない。

以上第一及び第二の問題について判断したところによれば、水俣湾事業についての本件仮処分が行訴法四四条で排除さるべき仮処分に該当するものということはできない。

二債務者チッソの主張

債務者チッソは、債務者チッソが本件事業の実施の有無、その内容等の決定について何等の権限も有しないことを理由として、債務者チッソに対する本件仮処分申請は、申請の利益を欠くか、もしくは債務者チッソは債務者適格を有しないから、本案の審理に入るまでもなく申請を却下すべきである旨主張するが、債権者らは、債務者チッソはその余の債務者らと共同して本件事業(法益侵害行為)を行う者であるとして本件仮処分申請をなしていることは記録上明らかであるから、債務者チッソの右主張は、そもそも、債権者らに対する債務者チッソの法益侵害行為の存否、強弱、すなわち被保全権利もしくは保全の必要性の存否等に関することがらであつて、本案の判断事項そのものである。したがつて、債務者チッソの右主張は理由がないものというべきである。

(本案について)

第一被保全権利

債権者らは、本件事業が進行することにより、債権者らに、水俣病及び無機水銀等の有害物質を原因とする健康被害、漁業被害等に基づく財産上の被害、ならびに現在享受している環境を汚染させない権利の侵害が発生する危険が大きいとして、人格権、不法行為、環境権に基づき、債務者県及び債務者チッソに対しては本件事業に係る工事等の一切の行為につき、債務者国に対しては水俣湾事業に係る工事等の一切の行為につき、いずれも事前の差止を求めているものである。

そこで、かかる権利等に基づき本件のごとき埋立工事の差止請求権が発生するか否かについて検討するに、差止請求が認められた場合の強い効果に鑑みれば、差止請求を求める法的根拠となる権利については、その権利が排他的な権利であり、かつその権利性が明白で強固であることが必要と解される。しからば、環境権に基づく差止請求については、いわゆる環境権そのものがその根拠や概念において必ずしも明確であるといい難いばかりでなく、その排他性の面において一部の者に排他的環境支配権というものを認めることには疑問があり、その権利の明白性等の面においても環境権の対象となる環境そのもの、あるいは環境権者の範囲や環境権の内容が不明確であり具体性に欠けるといわなければならないから、環境権に基づく差止請求はこれを否定するのが相当である。また、不法行為を理由とする差止請求権についても、民法が定めた不法行為制度は、違法行為からすでに生じた損害の填補を目的とするものであつて、現になされている行為の停止や将来予想される行為の予防を目的とする制度とは解されず、不法行為の効果についても民法七〇九条は損害賠償請求権のみを明記しているにすぎないのであるから、かかる不法行為を理由とする差止請求を認めることはできないといわなければならない。

ところで、およそ個人の生命、健康に関する利益は、各人の生存に直結するものであり、人格権の中核的部分に属するものというべきであるから、これに対する侵害に対しては、法上最大限の保護が与えられるべきである。したがつて、生命侵害及び著しい健康被害発生の蓋然性が高い場合には、特段の事情のない限り、その原因行為を差止める権利が容認さるべきであり、健康被害の程度が著しくない場合であつても、侵害行為の態様、程度、継続性、被侵害利益の性質内容、侵害を生ずべき行為の社会的有用性、被害防止のための対策の内容等諸般の事情を考慮して、その健康被害が受忍の限度を超えるときには、人格権に基づく差止請求権の行使によりその原因行為の差止が認められると解すべきである。

しからば、債権者らの本件差止請求のうち、不法行為及び環境権に基づくものはいずれもその余の点につき判断するまでもなく理由がないので、以下生命・健康被害を理由とする人格権に基づく差止請求の可否について検討する。

第二債務者チッソに対する請求について

債権者らは、債務者チッソに対し、債務者チッソが他の債務者と共同して本件事業すなわち法益侵害行為を行う者であるとして、本件事業の工事の差止を求めている。ところで、債務者チッソが差止請求の対象となつた本件事業を行う者に当たるというためには、少なくとも本件事業の内容の決定、変更、施工の実現等本件事業の工事に関する重要な決定事項につき影響を与える地位を有していることが必要であると解されるところ、債務者チッソが公害対策基本法及び公害防止事業費事業者負担法に基づいて、本件事業の事業費の一部を負担する者であることは当事者間に争いがないものの、同法は、国または地方公共団体が事業者の事業活動による公害を防止するために行う事業について、事業者にその費用の全部または一部を負担させる公法上の義務を規定しているにすぎず、費用を負担する事業者に対し当該公害防止事業の工事に関する重要な決定事項につき影響を与える地位を付与するものとは認められない。

しからば、他に債務者チッソが右のごとき地位を有することを一応認めるに足りる疎明もない本件においては、債務者チッソの法益侵害行為の疎明がないことになるので、債権者らの債務者チッソに対する本件事業の工事の差止を求める請求部分は、その余の点について判断するまでもなく理由がないといわなければならない。

第三債務者国及び債務者県に対する請求について

一当事者

1 債務者県は、自ら策定した水俣湾等堆積汚泥処理事業計画に基づいて、水俣湾及び丸島漁港において行う堆積汚泥処理事業(本件事業)の事業主体であること、債務者国は、債務者県から委託を受けて、本件事業のうち水俣湾事業の工事を行う者であることは当事者間に争いがない。

2 弁論の全趣旨によれば、債権者らはいずれも別紙債権者目録記載の各肩書地に居住することが一応認められ、また、これらの住所地が、いずれも八代海沿岸に所在することは公知の事実である。そして、〈証拠〉と弁論の全趣旨によれば、債権者らの中には八代海での漁業に従事している者もあり、これらの者は漁によつて得た魚介類を日常的に摂取していること、また、八代海の魚介類は、水揚げされた量のかなりの部分が、八代海沿岸地域で消費されており、八代海での漁業に従事していないその余の債権者らも日常生活において、これら八代海産の魚介類を摂取していることが一応認められ、右認定に反する疎明はなく、右事実によれば、債権者らはいずれも八代海の魚介類が人体に有害な物質により汚染されれば、その生命、健康に影響を受けうる地位にあるといわなければならない。

二本件事業の概要

1 目的

債務者チッソ水俣工場は、アセトアルデヒド酢酸設備内で生成されたメチル水銀化合物を工場排水とともに水俣湾、丸島漁港等に排出していたが、これが原因で水俣湾等の魚介類がメチル水銀により汚染され、付近住民がこれらメチル水銀を蓄積した魚介類を摂取することによつてメチル水銀が人体内に移行蓄積し、その結果メチル水銀中毒症である水俣病が発症し、重大な健康被害及び多大な漁業被害等をもたらしたこと、水俣病の発生は昭和三一年五月に公式に確認され、このため同工場ではその後工場排水の排出を規制し、昭和四三年五月にはアセトアルデヒドの製造を、次いで同四六年には水銀を使用する工程をすべて廃止し、現在においては同工場からメチル水銀が排出されることは全くなくなつたが、同工場から排出された水銀化合物は、現在もなお水俣湾、丸島漁港の堆積汚泥中に大量に蓄積されており、その量は七〇トンから一五〇トンにも及ぶものといわれていること、そして、水俣湾内の魚介類及び水質の一部は他の水域に較べて依然水銀により汚染されていて、その原因は水銀を含有する堆積汚泥にあるものと考えられていること、本件事業は、これら水俣湾及び丸島漁港に堆積する水銀汚泥を処理することによつて、環境汚染を防止させる目的で行われるものであることは、当事者間に争いがない。

2 計画策定の経緯及び工事の進行状況

〈証拠〉と弁論の全趣旨によれば、水俣湾等に堆積する水銀を含む汚泥については、以前から同湾地域住民の健康に対する不安の原因となつており、また同地域の漁業及び産業発展の阻害要因になつていたため、関係地域住民、漁民等から債務者県、債務者国、水俣市等に対し、右汚泥の早期処理の要望がなされていたこと、債務者県は、重要港湾水俣湾の港湾管理者であり、また丸島漁港の漁港管理者であることから、右要望等に基づき地方公共団体がなすべき公害防止事業として本件事業を実施することになつたこと、水俣湾事業については、特に事業の技術的困難性及び事業規模を勘案して、工事の施工を運輸省第四港湾建設局に委託して行うことになつたことが一応認められ、債務者県は、昭和五〇年六月本件事業計画を策定し、同五一年二月公害防止事業費事業者負担法に基づき費用負担計画を定め、同五一年九月埋立免許者である熊本県知事から水俣湾湾奥部の公有水面埋立免許を取得する等の事務手続を経て水俣湾事業に着手し、同四九年一月一重の仕切網を設置し、次いで同五二年後半に仕切網及び音響装置の工事が完了したが、その他の工事にはまだ着手されていないことは、当事者間に争いがない。

3 事業計画の概要

(一) 本件事業計画の概要に関する次の事実については当事者間に争いがない。

(1) 水俣湾事業

水俣湾事業は、水俣湾のうち別紙図面(一)記載の斜線部分及び湾奥部の埋立区域に堆積する二五ppm以上の総水銀を含む底泥を処理するもので、処理面積約二一一万平方メートル、処理量約一五〇万平方メートルで、そのうち同図面記載の第一工区四万四〇〇〇平方メートル第二工区五三万八〇〇〇平方メートル、両工区汚泥量約七二万六〇〇〇立方メートルはそのまま埋立てて封じこめ、残り約一五二万八〇〇〇平方メートル、汚泥量約七七万四〇〇〇立方メートルを浚渫して右埋立地に送泥して処理する。

汚泥処理に伴う各種工事の施工手順及び工法は、

① まず、水俣湾の海面を一般水域(当該工事による影響を防止すべき水域)と工事水域(工事に関連する水域)とに分け、その間の魚介類の遊出入を極力防止するため、その境界に沿つて別紙図面(一)記載のとおり、約3.7キロメートルにわたつて二重に仕切網(網目九センチメートル)を設置し、開口部である航路部二二〇メートルについては、海底部に高さ三メートルの底立網を設置するほか、音響による魚群遮断装置(音響装置)を設ける。

② 右設置終了後、工事中の湾内潮流を低減し、濁りの沈降を極力促進させるため、別紙図面(一)記載のとおり北側湾口部に仮締切堤を施工する。仮締切堤は延長約四三〇メートルでコンクリートケーソンまたはコンクリートブロックと上部コンクリート、基礎構造が捨石、被覆石で構成された重力混成堤である。

③ 右工事完了後本格的な工事に入り、まず、第一工区の護岸を施工する。護岸の本体構造は鋼矢板セル式または二重鋼矢板式とし、基礎工については敷砂を散布した後サンドドレーン工法及びサンドコンパクンション工法により地盤改良を行う。一部岸寄りの海底が岩盤である個所については、岩盤床堀し、本体構造は場所打コンクリート重力式とする。また、護岸の施工と併行して、埋立地背後の陸岸部に余水処理施設を設置する。

④ 右護岸完了後、試験工事として、右埋立区域前面の海底の汚泥をカッタレースポンプ船によつて埋立地に送り込む浚渫を行い、ポンプ船の性能及び浚渫時の汚泥による濁りの発生、拡散状況、余水処理施設の性能等についての調査を行い、工法の安全性について確認したうえ工法を確定し、次いで同地区の本格的な汚泥浚渫工事に入る。浚渫工法は、カッタレースポンプ等で浚渫した湾内の汚泥を埋立地内に送入するもので、浚渫完了後は埋立地表面を山土等で覆土する。

⑤ 汚泥送入時の埋立地からの余水は、埋立地において沈殿させた後、上澄み水を余水処理施設内の凝集沈殿池へ導き沈殿させて湾内へ放流する。それでも十分な水質が得られない場合は、急速濾過槽等で処理のうえ湾内に放流する。

⑥ 第二工区は、第一工区の護岸工事完了後同工区の場合と同様の工法により護岸及び余水処理施設を設置し、カッターレスポンプ等で浚渫した水俣湾丸島漁港、丸島及び百間排水路の汚泥を第二工区内に送入して処理する。

⑦ 埋立完了後仮締切堤を撤去し、魚介類の監視等により安全の確認がなされた後仕切網を撤去する。

(2) 丸島港事業

丸島港事業は、丸島漁港のうち別紙図面(二)記載の斜線部分に堆積する二五ppm以上の総水銀を含む汚泥を処理するもので、汚泥処理面積約三万二〇〇〇平方メートル、処理汚泥量約一万七七〇〇立方メートルで、全面浚渫により処理する。浚渫工法は原則としてカッターレスポンプにより行い、これにより難い部分は機械削または人力堀削とする。浚渫した汚泥は密閉式の土運船で水俣湾埋立地に運搬して処理する。

(3) 監視計画

監視業務は債務者県が行い、監視の基本的事項の実施に関する重要事項(監視基本計画の変更を含む)、監視の内容、監視に基づく処置等を検討するため、関係行政機関、学識経験者、地元漁業者等による監視委員会を設置する。

水質の監視

① 工事による影響が工事水域の外に及ぶことを防止するため、一般水域との境界に基本監視点を設定し、総水銀、濁度、砒素、鉛等の調査を行う。総水銀の監視基準値は定量限界値(0.0005ppm)以下とし、総水銀と濁度は一日三回調査する。これらの水質の判定は、当日を含む直近一週間の平均値が基準値を超えないことを基準として毎日行う。総水銀については、監視基準に適合しないことが判明した場合、直ちに水質に影響のある工事を中断し、所要の措置を講ずることとし、その他について基準値を超えた場合は監視を強化し、必要に応じて工事速度を減ずるかまたは工事を中断する等所要の措置をとる。

② 基本監視点における水質の変化を予察し、工事の継続の適否に関する早急な判断を下すため、各工事各工程段階毎に工事水域内に補助監視点を設定し、一日五回濁度の調査を行う。また、濁度と総水銀の相関を知るため、適宜総水銀の測定を行う。

③ 埋立地の沈殿池排水口で埋立地から流出する余水の監視を行う。調査項目は濁度、総水銀、メチル水銀その他砒素、鉛等の有害物質等とし、濁度については自記自動測定器による連続測定を行い、総水銀については一日一回、その他の有害物質についても一日一回または所要の回数調査する。監視基準は、総水銀0.005ppm以下、メチル水銀は検出されないこと等海洋汚染防止法に基づく余水吐から流出する海水の基準により定める、水質の判定は、各測定時毎に基準値を超えないことをもつて行うこととし、不適合の場合は、直ちに余水の放流を中断し、所要の措置を講ずる。

魚介類の監視

① 一般水域に調査区域を三カ所定め、特定の魚種につき年四回捕獲して水銀の調査を行う。監視基準は各魚種毎に総水銀の平均値が0.4ppmを超えないこととし、これを超えた魚種についてはさらにメチル水銀の分析を行い、その監視基準は0.3ppmを超えないものとする。

② 工事水域内において特定の魚種を一回採捕し、その総水銀を測定して監視の参考とする。

(二) 債権者らは、債務者国が債務者県とともに本件事業の監視を行うと主張するが、債務者国が監視業務を行うことは本件全証拠によるも疎明されず、〈証拠〉によれば、本件事業について当事者間に争いがない右(一)の各事実のほか次の事実が一応認められ、右認定を覆えすに足る疎明はない。

(1) 基本監視点及び補助監視点の位置及びその数は、水俣湾においては別紙図面(六)の図2ないし4、5の1ないし5記載のとおり、工事の進行に応じて基本監視点を工事水域と一般水域の境界線上の五〜六地点に、補助監視点を工事地点と基本監視点との中間の七〜一〇地点に、それぞれ設け、丸島漁港では、基本監視点を南北防波堤先端を結ぶ線の中央の一地点に、補助監視点を内防波堤先端付近の一地点にそれぞれ設ける。また、補助監視点の監視の結果が監視基準に適合しない場合には、監視を強化しその原因を究明するとともに、必要に応じて工事速度を減ずるかまたは工事を中断するなど所要の措置をとることとし、基本監視点の総水銀の判定結果は毎日公表する。さらに、工事地点周辺部において、異常な濁り等の有無を常時観察する。

(2) 魚介類の監視については、工事による魚介類への影響をより早急かつ明確に把握するため、水俣湾工事水域内の工事施工地点に近接して二カ所に小割養殖施設を設置し、同施設においてマダイ等の二魚種を飼育し、一〇日毎に右飼育した魚の総水銀について調査し、また、工事水域及び一般水域において、年四回動物性プランクトン及び植物性プランクトンにつき総水銀の分析を行い、監視の参考とする。魚介類の監視の結果監視基準に適合しない場合は、その原因を究明するとともに監視委員会に諮り必要な措置をとることとする。

(3) 水俣湾事業と丸島港事業は互いに関連をもつて行われ、最も規模の大きい水俣湾事業は着工から完成まで約一〇年を要する。

三水俣病について

債権者らは、本件事業の工事によつて債権者らに水俣病被害が発生すると主張するので、まず、水俣病の概要、その発生機序、水俣病発病に関する債権者らの地位、及び水俣病被害発生の判断基準について検討を加える。

1 水俣病の概要

水俣病は、メチル水銀を蓄積した魚介類を摂取することによつてメチル水銀が人体内に移行蓄積し、その結果発症したメチル水銀中毒症であることは前記のとおりであり、〈証拠〉を総合すれば、次の事実が一応認められ、右認定を覆えすに足る疎明はない。

水俣病の症状は一定の潜伏期を経て発現するもので、その主要なものは、ハンターラッセル症候群と呼ばれる運動失調、構音障害、求心性視野狭窄、難聴、知覚障害等であり、これ以外に錐体外路症状、自律神経症状、知能・性格障害等を現わすこともあり、極めて特徴的な病像を示すが、その現われ方及び程度は多彩である。その病理の中心は、メチル水銀によつて、大脳皮質の選択性障害(特に、視覚中枢である後頭葉鳥距野、運動及び知覚中枢の中心回領域、ならびに聴覚中枢である側頭葉横側頭回領域等の障害が強い)、小脳の皮質障害(特に顆粒細胞の脱落委縮)、末梢神経の障害をもたらすのであるが、重症者や胎児性水俣病等の場合は脳の白質も侵される場合がある。そして、これらの神経細胞の障害は不可逆的なもので、二度と回復されることはない。

水俣病は、メチル水銀の蓄積の程度・期間、個体側の諸要因等により多彩な臨床像を示すものであるが、一般的に次のような分類がなされている。その第一は急性・悪急性水俣病と慢性水俣病、第二は成人水俣病、小児水俣病、胎児性水俣病の各分類である。

急性・亜急性水俣病は、初めて水俣病が発見された昭和三一年当時の患者に多く見受けられ、ハンターラッセル症候群が高度に共通して認められ、メチル水銀の摂取量が極めて大量であつたため、急性もしくは亜急性に発症し、症状も急激に進行し、右の主要症状のほか複雑で外見的にも明確な臨床症状を示して悲惨な印象を与え、重症者はほとんど一〇〇日以内に死亡した。慢性水俣病は、ハンターラッセル症候群を主要症状とするものではあるが、その症状の発現もしくは増悪し始めたのが、右の急性・亜急性水俣病の発症が終了した昭和三五年以降であり、その症状の完成まで三年から一〇年の期間を要する等症状の進行が極めて緩慢であり、症状の程度や組合せが急性・亜急性型に比べてはるかに多彩である。また、その病理も病変の局在に変りはないが、病変そのものが軽いという特徴を有する。しかして、現在、患者の発見およびその救済業務の推進が叫ばれている水俣地区及び八代海沿岸地域に居住する水俣病患者が罹患している水俣病は、いずれも右慢性水俣病であつて、この慢性水俣病については、未だ未解明の点も多く、種々の分類等もなされているが、その臨床像と剖検例から、一般には、(イ)急性・亜急性発症の水俣病が後遺症を残して長期にわたり経過したもの、しかも、メチル水銀汚染地帯に居住しているためにその影響が加重しているもの、(ロ)遅発生水俣病・新潟水俣病の際実証されたもので、症状を現わさないが比較的多量のメチル水銀を摂取した後その摂取を中止し、比較的長い潜伏期を経て症状が発現するもの、(ハ)加齢性遅発性水俣病・メチル水銀中毒で特定の部位の神経細胞の脱落減数があつたが、それが軽いためその際は症状が現われないのに、老化現象の始まる時期に加齢による神経細胞の脱落が加重して、水俣病症状が発現するもの、(ニ)狭義の慢性水俣病・魚介類中に含まれるメチル水銀の摂取量が比較的少なく、そのため長期間にわたつて摂取するうちに脳内に一定量以上の水銀蓄積を招来し、発症値に達した場合にその時点から症状が現われはじめ、蓄積量を増すにつれて症状も増加し、主要症状を示すようになるもの等に分類されている。

成人水俣病の臨床症状及び病理は、右の通常のそれと異なるところはないが、小児水俣病及び胎児性水俣病(胎児期に母親が摂取したメチル水銀を経由して胎児の脳に移行蓄積して発症するメチル水銀中毒症)では、皮質障害が広範になり易い傾向が見られ、小児水俣病では主要症状のほか諸臓器等も含む全身の著名な発育不全が見られ、錐体外路症状、自律神経症状が成人より増加し、知能障害等の精神障害も増加する。胎児性水俣病は、錐体外路症状、自律神経症状もより強く見られ、重篤な精神症状、知能障害が認められ、中には白痴様のものもあり、発育不全が顕著に認められるもので、つまりは重症の心身障害児として出生、成長することになる。そして、メチル水銀耐性は成人、幼児、胎児の順に弱くなると考えられている。

しかして、このような分類のそれぞれに重症例から軽症例まで存在するものと推測され、かかる多彩な形態を持つ水俣病の全体像は、一般には、狂躁状態を呈して死に至つた最重症例を頂点として、ハンターラッセル症候群を具備する定型型、同症候群の揃わない不全型、もしくは他の脳神経疾患等でマスクされて水俣病症状が臨庄的に把握できないマスク型と続き、最も軽症で知覚障害等しか認められない最軽症型を底辺とするピラミッド状をなし、この枠から一部外れる形で胎児性水俣病等の特殊型が存在するものと考えられている。

2 水俣病の発生機序

債権者らは、水俣病の発生機序について、水俣病の症状が現われるためには一定部位の一定数の脳神経細胞が障害されなければならないが、このことはメチル水銀により死滅させられた神経細胞の数に水俣病発症閾値が存することを示すもので、水俣病の発症はメチル水銀の体内侵入量と時間との積によつて表わされるものであること、したがつて、過去に大量のメチル水銀を摂取した者や長期間にわたつてメチル水銀を摂取した者は、僅かな量のメチル水銀の摂取が続いただけでも水俣病に罹患する危険性が生ずる旨主張しているのに対し、債務者らはその主張自体から閾値論〔メチル水銀が体内に一定量蓄積されて初めて健康に対する影響が出てくるもの(この影響の出始める蓄積量を閾値という。)で、それより低い量の蓄積は人体に影響を及ぼさないものであるとの考え方〕を前提として本件工事の安全策を画していると窺えるので、以下水俣病の発生機序について検討する。

〈証拠〉によれば、メチル水銀中毒の発症機序については一般的には閾値論が採用されているところ、スウェーデンのレフロースはこのような閾値論の考え方を否定し、メチル水銀の閾値機構とはメチル水銀により破壊された脳細胞の数に一定の閾値があるもので、摂取されたメチル水銀による脳細胞への障害の起こる率が極めて低くても、それが自然に起こる脳細胞の退化速度より大きい限りは長い時間ののちにはその個体に悪影響が現われる旨の見解を発表し、また、熊本大学医学部助教授原田正純は急性・亜急性水俣病には閾値論が妥当するとしながらも、慢性水俣病患者の発症機構は閾値論では説明できず、むしろ右レフロースの考え方が合理的であるとしたうえで、水俣病の発症はメチル水銀の体内侵入量と時間との積で示されるものである旨の見解を発表していること、メチル水銀の人体耐量を調べるため国立衛生試験所で行われてカニクイザルにおける微量メチル水銀長期摂取の実験で、症状が見られなかつたにもかかわらず、電子顕微鏡では神経細胞に著名な変化をきたしていたものが認められたことが一応認められ、右各事実は一応債権者らの右主張に副うものといえる。

しかしながら、他方、〈証拠〉によれば、水銀等の有害金属による人体中毒は、中毒学史上最も古い歴史を持ち数々の研究のなされている分野であるが、その毒性についてはほとんどすべての学者が閾値論の見解に立つもので、債権者らの主張に副う見解を述べる学者は右の二人のほかほとんど見当らないこと、右二人の見解によつても、最も重要な点である個々の脳細胞に対して不可逆的な障害を与えるメチル水銀量もしくは発症に要するメチル水銀の総侵入量については不明とされており、また、これらの見解を実証すべき実験等は何等行われていないこと、原田助教授の右見解は慢性水俣病の患者の中には従来の閾値論では説明し難い者が存することを唯一の根拠にしている(慢性水俣病の発症機構は未だほとんど解明されておらず研究途上である。)ものであること、前記カニクイザルの実験はほぼ発症閾値のメチル水銀が蓄積した検体の解剖例であることが一応認みられ、またレフロースの見解につき充分に納得させる根拠を示す疎明はない。しからば、右の各事実に照せば、右カニクイザルの実験をもつて債権者らの主張を根拠付けるには充分でなく、レフロース及び原田助教授の見解についても充分納得しうる根拠を示すものとはいえず、結局、債権者らの主張事実を一応認めうるに足る疎明はないといわなければならない。

しかして、さらに検討を進めるに、〈証拠〉によれば、次の事実が一応認められ、右認定を覆えすに足る疎明はない。

メチル水銀の人体無作用量(最もメチル水銀耐性の弱い人に対しても全く健康影響のでないメチル水銀量)については、現在までに次のような研究がなされている。(イ)メチル水銀の中毒量に関する代表的な研究は、神戸大学医学部教授喜多村正次の研究であるところ、この研究では水俣及び新潟の水俣病患者の摂取した魚介類の量及びそのメチル水銀量から、ハンターラッセル症候群のそろった典型的な亜急性水俣病を発現させるメチル水銀体内蓄積量を体重五〇キログラムの成人で一〇〇ミリグラムと推定し、これに安全率を乗じて人に対するメチル水銀無作用量を体重五〇キログラムの人について一〇ミリグラムの蓄積量であるとした。(ロ)前記国立衛生試験所のカニクイザルにおける微量メチル水銀摂取の実験では、0.1ミリグラム/キログラム/日以上のメチル水銀を摂取し続けたサルは水俣病を発症したが、0.03ミリグラム/キログラム/日以下のメチル水銀を摂取し続けたサルは二年一〇カ月以上経過しても水俣病の症状を現わさなかつた(このことは、体重五〇キログラムの人に換算すると、メチル水銀の体内蓄積量が一三〇ミリグラムになり、かつその状態で一年以上経過しても典型的な中毒症状が現われなかつたことになり、喜多村教授の研究に副つた結果を示すものである)(ハ)一九七二年から一九七三年にかけ、イラクにおいて、メチル水銀で消毒した種子小麦でパンを作り食用に供したことから大規模なメチル水銀中毒事件(入院患者約六五〇〇名、死者約四六〇名)が発生したが、このときの調査研究では、メチル水銀中毒の閾値は体重五一キログラムの人でメチル水銀蓄積量二五ミリグラムと報告されている。(ニ)スウェーデンでは、新潟における患者及び自国でのメチル水銀被曝者の調査研究から、メチル水銀中毒の閾値は体重七〇キログラムの人でメチル水銀蓄積量三〇ミリグラムと推定している(イラクとスウェーデンの研究はほぼ照応する)。(ホ)FAO(食糧農業機構)・WHO(世界保健機構)合同食品添加物専門委員会は、一九七二年にメチル水銀の安全摂取量について検討し、右スウェーデンの研究を基にして十分な安全率を考慮したうえ、メチル水銀無作用量をその摂取量について定め、体重五〇キログラムの人で一週間のメチル水銀摂取限度を0.17ミリグラム(蓄積限度に換算すると体重五〇キログラムの人で2.5ミリグラムとなる)と定めた。(ヘ)熊本大学医学部教授武内忠男は、水俣病の病理的研究及び動物実験等から、メチル水銀中毒の閾値は体重五〇キログラムの人で二〇ミリグラムのメチル水銀蓄積量であるとし、メチル水銀の無作用摂取量を体重五〇キログラムの人で週に0.175ミリグラムであると報告した。(ト)一般的にマグロは他の魚種と比較して高濃度のメチル水銀を蓄積していることが判明しているところ、マグロ漁船員のメチル水銀摂取状況の調査によると、調査の対象とされたマグロ漁船員は0.5ppm前後のメチル水銀を含むマグロを一〇カ月間連日約五〇〇グラム摂取しており、その一日のメチル水銀摂取量は0.25ミリグラム(週1.75ミリグラム)前後に達していたが、船員にはメチル水銀中毒の徴候は全くみられなかつた。

以上のとおり認定および判断したところを総合すると、ほとんどすべての学者がメチル水銀中毒に関し閾値論を採用しており、閾値論を否定する見解は極く少数であるうえいずれもその根拠が不充分かつ実験等による立証もないため採用し難いこと、閾値論を前提とした人体無作用量についての各研究においても、右人体無作用量ないメチル水銀閾値に大きな隔たりはなく、このことは閾値論の正しさを間接的に示しているものととらえられることから、メチル水銀中毒に関する現在までの科学的知見によれば、メチル水銀中毒については閾値論を採用するのが最も合理的であると考えられる。また、メチル水銀の人体無作用量については、右認定のとおり各研究上若干の差があるが、債権者らにとつて最も安全な数値であり、FAO・WHO合同食品添加物専門委員会が採用した0.17ミリグラム/週/体重五〇キロムグラの摂取量を基準とすることが最も合理的であると考えられる。

3 水俣病発病に関する債権者らの地位

債権者らは、過去において債権者らが多量のメチル水銀を体内に蓄積したことがあること、債権者らは現在に至るまでメチル水銀の低濃度汚染の被害を蒙つていることを主な理由として、債権者らが水俣病被害について他地域の住民と比較して特に危険な地位にあると主張するので、以下右の点に関し検討を加える。

〈証拠〉によれば、次の事実が一応認められ、右認定を覆えすに足る疎明はない。

債務者チッソ水俣工場からの水俣湾等へのメチル水銀の流出量は、昭和一九年から昭和三四年頃が最も多く、最高値を示した昭和三四年の水俣湾の魚介類の総水銀濃度は、平均で一一ppmを超え、このため多くの水俣病患者の発生をみたのであるが、同工場の排水対策により昭和三五年八月以降はメチル水銀の流出はほとんどなくなり、昭和四三年五月にはメチル水銀を副生するアセトアルデヒドの製造が停止され、昭和四六年には水銀を使用する製造工程はすべて禁止され、これ以後水銀が排出されることは全くなかつた。これに伴い、水俣湾内の魚介類の総水銀濃度も減少し、アセトアルデヒドの製造が停止された昭和四三年以降は、総水銀0.20ppm〜0.52ppmの間を横這いする状態になり平均すると暫定規制値総水銀0.4ppmを若干下まわるようになつたが、なお水俣湾内の一部の魚種については暫定規制値を超える魚も見られる等湾内の汚染状態は消失せずに継続している。しかしながら、水俣湾内の漁業権は水俣市漁業協同組合が所有しているところ、同組合では昭和四八年六月以降自主規制により湾内漁業を全面的に停止し、昭和五〇年には債務者県との間で湾内の漁業権の消滅及び制限(昭和五〇年四月から昭和五九年三月まで)の協定を結び、同地域での漁業は行われていない。水産庁研究開発部が行つた昭和四八年以降昭和五一年までの調査では、水俣湾外の八代海の魚介類には暫定的規制値を超える魚種は存在せず、ほとんど水銀により汚染されていないとされている。そして、熊本県玉名保健所が昭和五四年に行つた水俣市内に流通する魚介類の市場調査結果によつても、暫定的規制値を超える魚種は存在せず、これらの魚介類が水銀で特に汚染されている事実は認められなかつたとされている。また、体内メチル水銀量は毛髪水銀量から推測されるものであるところ、昭和四六年から昭和四七年にかけて行われた水俣地区等に居住する住民の毛髪水銀量の調査では、他地域と比較しても特に有意の差が認められなかつた。体内に蓄積されたメチル水銀は、時の経過とともに体外に排出されて減少して行くものであり、メチル水銀の生物学的半減期(人体に摂取されたメチル水銀が体内から排出され摂取量の半分になるまでの期間)は七〇日とするのが学界の通説であつて(この見解が採用するに値するものであることは後記のとおりである)。、水俣病発見当時にメチル水銀を閾値以上蓄積して水俣病を発症し一〇年以上経過して死亡した者につきなされた調査では、患者の体内メチル水銀量は正常人のそれと変らないところまで減少しているのが普通であるとされている。

右認定の各事実によれば、現在も汚染が続いている地域である水俣湾では漁業が停止されているため、少なくとも右漁業が停止された昭和四八年六月以降は、債権者らがメチル水銀に汚染された魚介類を介して他地域の住民以上にメチル水銀の体内蓄積を続けてきている可能性はないといえる。また、債権者らが過去において水俣湾の汚染によるメチル水銀を多量に蓄積したことがあつたとしても、右体内のメチル水銀半減期についての考え方及び漁業停止後今日まで六年余の年月が経過していることから、債権者らの体内メチル水銀はすでに体外に排出されてしまつたと推認するのが相当である。したがつて、右認定した事実ならびに判断によれば、到底、債権者らが他地域の住民と比較して特に水俣病に関し危険な地位にあることを窺うことはできず、他に債権者らが右のごとき危険な地位にあることを窺わせる主張も立証もないので、この点に関する債権者らの主張は理由がない。

4 水俣病被害発生の判断基準

(一) 右の1ないし3の判示事実によれば、本件事実による債権者らの水俣病被害発生の危険性の存否を判断するためには、債権者らが八代海の魚介類を介して摂取するメチル水銀の摂取量もしくは体内蓄積量が問題になるところ、メチル水銀の人体無作用量の無作用摂取基準をメチル水銀0.17ミリグラム/週/体重五〇キログラムに求めることが債権者らにとつて最も安全でかつ合理的であることは前記のとおりである。

しからば、債権者らが摂取するメチル水銀量が右無作用摂取基準以下に止まるか否かは、メチル水銀の摂取源である八代海の魚介類の汚染の程度にかかつており、同魚介類のメチル水銀濃度が問題になる。

(二) 債務者県及び債務者国は、八代海魚介類のメチル水銀濃度の判定のため、厚生省が昭和四八年に定めた「魚介類の水銀の暫定的規制値」に従い、監視計画において一般水域の魚介類の水銀監視基準値を設定しているところ、同計画では右基準値を各魚種毎にそれぞれの総水銀の平均値が0.4ppmを超えないこととし、総水銀の平均値が0.4ppmを超えた魚種についてはさらにメチル水銀の分析を行つてその監視基準を0.3ppmとすること(右総水銀及びメチル水銀の基準値は暫定的規制値のそれと同様である。)と定められていることは当事者間に争いがない。しかるに、債権者らは厚生省の右「魚介類の水銀の暫定的規制値」自体に安全上問題があるため、右監視基準値では本件事業の安全性を担保することができない旨主張しているので、まず右主張の当否について検討を加える。

暫定的規制値は、水銀汚染による国民の健康被害(水俣病)の発生を防止するための基準を、魚介類の水銀含有量の点について定めたもので、その算定根拠は、前記閾値論の見解に立つて、メチル水銀の安全摂取量を成人(体重五〇キログラム)に対し一週間当り0.17ミリグラムと定め、これを前提に、国民の魚介類平均最大摂取量108.9グラムを基にして定められたものであることは当事者間に争いがなく、右閾値論及び安全摂取量がいずれも合理的なものであることは前記のとおりである。そこで、先ず債権者らが主張する各問題点について逐次検討することにする。

第一に、水俣湾の発生機序について閾値論の見解に立つことが合理的でない旨の債権者らの主張については、水俣病の発生機序に関する現在までの研究結果を総合すれば閾値論の立場を採るのが最も合理的であると考えられることは前記のとおりであるから、債権者らの右主張は失当である。

第二に、メチル水銀の生物学的半減期を七〇日としてメチル水銀の安全摂取量を算定するのは合理性がない旨の債権者らの主張につき判断するに、〈証拠〉によれば、右暫定的規制値は、人の体内メチル水銀の生物学的半減期が七〇日であることを基礎として算定されているところ、前記武内教授は水俣病患者の剖検例等から、脳におけるメチル水銀の半減期は二四〇日になると算定し、これをメチル水銀の安全摂取量の基礎とすべき旨の見解を報告していることが一応認められる。しかしながら、〈証拠〉によれば、右武内教授の研究はその算定方法等に問題点があるとして学界内での批判も多い見解であり、また二四〇日説をとる武内教授の研究においてもメチル水銀の無作用摂取量については週0.175ミリグラム(体重五〇キログラム)とされている(暫定的規制値の結論とほぼ一致する)こと、人の体内メチル水銀の生物学的半減期を七〇日とする見解はスウェーデンにおける放射線同位元素を使用する人のメチル水銀経口摂取実験の結果に基づくもので、日本国内はもとより国際的にも多数の学者や機関等の賛同をえている見解であり、前記FAO・WHO合同食品添加物専門委員会においても、右七〇日説を基礎としてメチル水銀無作用摂取量の算定がなされたことが一応認められ、右認定を覆えすに足る疎明はない。しかして、右認定の各事実によれば、人の体内メチル水銀の生物学的半減期を七〇日として前記暫定的規制値を算定することは、充分に合理的なものであると考えられるので、債権者らの前記主張は理由がない。

第三に、暫定的規制値は数値がより危険な方へ変更されて計算されており不合理であるとの債権者らの主張について判断するに、〈証拠〉によれば、暫定的規制値の算定に当つて、魚介類に含まれるメチル水銀の安全基準は、〔0.17mg(週間メチル水銀許容摂取量)÷762.3g(週間魚介類摂取量 108.9g×7日)=0.223PPm〕の計算式によって算定され、その値は0.223ppmであること、しかし、微量のメチル水銀はその正確な測定が難しいという技術上の問題点があるため、実際的な基準は総水銀で定めることとし、右0.223ppmを実測データ等から適当と考えられる比率で総水銀に換算し、その結果総水銀0.4ppmが基準値とされたこと、そしてメチル水銀は参考として考えることとし、その測定技術上の問題点を考慮してその基準値を0.3ppmと定めたことが一応認められ、右の事実によれば、メチル水銀については確かに暫定的規制値は計算上算定された数値より危険な方へ変更されているともいえるが、そのように変更された理由及び前記メチル水銀の人体無作用量等について検討したきたところに照せば、右の変更が特に不合理なものとは認め難く、他に右変更が不合理であることを認めるに足る疎明もないから、債権者らの右主張は理由がない。

第四に、暫定的規制値は、日本人の魚介類平均最大摂取量(一日108.9グラム、小アジ一尾分)を前提として算定されているところ、債権者らの中にはこれより多い魚介類を摂取している者がいるから、暫定的規制値は実体に即した基準とはいえない旨の債権者らの主張について判断するに、〈証拠〉によれば、暫定的規制値は、厚生省が行政上の指導指針として運用する目的で決定されたもので、特殊地域に適用すべき基準ではなく、金国的に均一に適用される一般的な基準であり、そのため、魚介類を多食する者等については食生活の適正な指導を行うべきことが規定されていること、しかるに、債権者らのうち特に八代海で漁業をする者らの中には、八代海産の魚介類を一日数百グラムも摂取する者も含まれていることが一応認められ、水俣湾丸島港事業計画においてかかる魚介類の多食者に対し特別な対策が講じられていることは、これを認めるに足りる疎明はない。したがつて、暫定的規制値が、かかる八代海産の魚介類を多食する者についてもその安全性を保障しうるものか否かが問題となるところ、〈証拠〉によれば、暫定的規制値は、メチル水銀の安全摂取量が体重五〇キログラムの人につき一週間当たり0.17ミリグラムであること(この基準はメチル水銀の人体無作用摂取量と同じであり、合理的なことは前記のとおりである。)を前提として決定されたものであり、また、暫定的規制値の趣旨は、総水銀0.4ppmまたはメチル水銀0.3ppmの魚を毎日108.9グラムづつ摂取したとしても安全であることを表わすだけのものであること、八代海の魚介類の水銀濃度は魚種ごとに大きく異なり、汚染の続いている水俣湾内においてすら魚種によつては約九倍の差があり、したがつて、仮に、右暫定的規制値を超える魚種が生じたとしても、同一海域内のすべての魚介類が右規制値を超えることになるものとは考えられないこと、一般水域の魚介類について水銀汚染が生じないよう水質等について厳重な監視体制がとられるため、一般水域の魚介類につき急激な水銀汚染が生ずる可能性はないと考えられること、また、現に、八代海の魚介類の大多数は右暫定的規制値をかなり下廻つていることが一応認められ、右認定を覆えすに足る疎明はなく、前記水俣市漁業協同組合の自主規制及び同協同組合と債務者県との間の協定により、債権者らが水俣湾内の魚介類を摂取する機会がないことは前記のとおりである。しかして、右各事実によれば、暫定的規制値をもつて本件事業の監視基準とされた場合、債権者らの中の魚介類多食者であつても、メチル水銀を週に0.17ミリグラム以上継続摂取する蓋然性は乏しいといわなければならず、その他右魚介類多食者がメチル水銀を右基準を超えて摂取する蓋然性を認めるに足る疎明はなく、債権者らの前記主張は理由がない。

第五に、暫定的規制値算定の前提とされたメチル水銀の人体許容濃度の研究は、主に急性・亜急性型の水俣病患者のデータを基になされたものであるところ、現在問題となつているのは慢性水俣病であるから、実態から遊離している旨の債権者らの主張について判断するに、債務者らの主張に副う各研究は、カニクイザルによるメチル水銀の長期微量摂取実験(メチル水銀の慢性中毒の実験)の結果等によつても裏付けられており、充分に納得しうるものであることは前記のとおりであるから、債権者らの前記主張は理由がない。

以上検討したところによれば、債権者らの主張はいずれも理由がなく、しからば前記のとおり合理的と認められる閾値論及びメチル水銀の安全摂取量を前提として算定された暫定的規制値ないし監視基準値は、水俣病被害発生を防止するに足る合理的なものであるといわなければならない。

四処理対策汚泥による汚染の危険性について

債権者らは、本件事業の工事によつて底泥が攪拌されると、粒子態水銀の拡散、溶存態水銀の溶出及び混合、海水中での無機水銀のメチル化の各経路によつて八代海の水銀汚染が生じ、八代海の水銀汚染が生じると、溶存態水銀及び粒子態水銀の吸収、食物連鎖、魚体内での無機水銀のメチル化の各経路を通じて、八代海の魚介類にメチル水銀が蓄積されると主張しているので、以下右主張の当否について判断する。

1 水俣湾及び丸島漁港内の底泥及び水質の状況

〈証拠〉によれば、水俣湾底泥中の総水銀の分布は、別紙図面(三)記載のとおり湾奥部で高く、湾外へ向うにつれて減少しており、処理を必要とする二五ppm以上の高濃度の水銀に汚染された汚泥は、別紙図面(四)記載のとおり約一〇センチメートルから約二メートルの層厚でもつて湾内のほぼ全域に拡がつていること、同湾内で汚染の状況が強い湾奥部はそのまま封じ込めて埋立てられるが、浚渫区域の処理汚泥量は約七七万四〇〇〇平方メートル(全体の処理対象量の約半分、水銀量では約二割)という膨大な量になること、底泥中の水銀はほとんどすべて無機水銀であるが、メチル水銀も極微量ながら含有されていること、同湾の海水中の水銀濃度は、湾内のほぼ全域につき、総水銀については検出されないか、もしくは環境基準(0.0005ppm)以下であり、メチル水銀については全く検出されないものの、湾奥部の河川の流出口附付及びこれに近い個所で環境基進を超える水銀汚染がみられること、底泥を攪拌させて濁りを発生させると、海水中の水銀濃度の上昇が認められ、両者の間に相関関係が認められること、丸島漁港底泥中の総水銀の分布は、別紙図面(五)記載のとおりで、水俣湾内底泥ほどではないにせよ、数十ppm程度の汚染がなされていることが一応認められ、右認定を覆えすに足る疎明はない。

2 水俣湾底泥による海水の水銀汚染

(一) 含水銀浮遊微粒子による汚染

債権者らは、水俣湾事業の工事により膨大な量の含水銀浮遊微粒子が底泥から巻き上つて拡散し、長期にわたつて八代海全域を汚染すると主張するので、以下右主張の当否について検討する。

〈証拠〉によれば、水俣湾の汚泥は微細な土粒子の結合もしくは集合によつて組成されているものであるが、その組成成分はシルト分及び粘土分が多いため、外部的な力を加えた場合汚泥は容易に濁りとして海水中に巻き上る傾向があること、汚泥を攪拌してこれらの土粒子を海水中に巻き上らせた場合、これらの土粒子は再び海底へ沈降することになり、これらの土粒子特有の性質を度外視すれば一般的にはその粒径が小さいほどその沈降速度も遅くなり、粒径が五ミクロン以下の微粒子に至つては、海水中の潮の流れ等による乱流現象によつて、ほとんど沈降することはなく、潮流に乗つて広範囲に拡敢され易いこと、そして、水銀はこのような微粒子に濃縮される傾向があり、水俣湾底泥の五ミクロン以下の土粒子に高濃度の水銀(約六〇ppm)が検出されていること、そのうえ、かかる五ミクロン以下の土粒子は水俣湾底泥の約一〇パーセントから五〇パーセントの割合を占めるため、浚渫区域に存在する量はかなりのものになると予想されること、しかしながら、これらの微粒子は互いに凝集する性質があり、そのほとんどが互いは凝集結合を繰り返すため、潮流等の影響が小さければ再び攪拌地点付近に沈降する傾向にあることが一応認められ、右認定を覆えすに足る疎明はなく、右の各事実によれば、水俣湾内の汚泥は、外部的な力を加えた場合容易に濁りとして海水中に巻き上る傾向にあるが、潮流等による影響が小さければ(本件全疎明資料によるも潮流の影響が大であることを認めることはできない。)土粒子の大小を問わずそのほとんどが再び攪拌地点付近に沈降するのであるから、水俣湾事業の工事により含水銀浮遊微粒子が拡散して八代海全域を汚染するものとは考えられず、他に債権者らの右主張を認めうる疎明もないので、同主張は理由がないといわなければならない。

(二) 溶存態水銀による汚染について

債権者らは、水俣湾事業の工事により底泥が攪拌されると、高濃度の水銀を含む底泥中の間隔水が海水中に混合し、また底泥中の水銀が海水中に溶出することになり、海水を溶存態水銀によつて汚染させることになると主張するので、以下右主張の当否について検討する。

〈証拠〉によれば、間隙水の水銀濃度については、水俣湾底泥中の間隙水(土粒子間の間隙を充している水)を分離してその総水銀濃度を測定したところ、いずれも定量限界値0.0005ppm未満の反応しか認められなかつたこと、底泥からの水銀の溶出の点については、昭和三四年、同三八年、四九年の水俣湾底泥の総水銀分析の各結果を比較しても、その表層濃度にはあまり変化がなく、海水中の溶存態水銀濃度(総水銀)を測定しても、水俣湾内と水銀汚泥の存しない水俣湾外とで濃度の差がなかつたこと、水俣湾底泥中の水銀のほとんどは、難溶性の硫化水銀の形態で存しているものと考えられること、また、水俣湾の底泥に振とうを加えて溶出試験を行つたところ、ほとんどが定量限界値(総水銀0.0005ppm)未満であつたこと、問題となるメチル水銀については、底泥はこれを吸着して容易に溶出させ難い性質を有していることが一応認められ、右認定を覆えすに足る疎明はなく、右のごとき底泥等の性質及び現況ならびに各検査等の結果に照らせば、水俣湾事業の工事により海水が溶存態水銀によつて汚染されるとは到底考えられず、他に債権者らの主張を認めるに足る疎明もないから、債権者らの前記主張は理由がない。

(三) 無機水銀のメチル化による汚染について

債権者らは、水俣湾事業の工事によつて海水中に拡散した粒子態及び溶存態の無機水銀は、海水中で光メチル反応もしくは微生物によるメチル化反応によリメチル水銀に変化すると主張するが、水俣湾事業の工事によつて粒子態及び溶存態の無機水銀が海水中に拡散されることが認められないことは前記のとおりであるから、債権者らの主張は右の点において理由がないことは明らかであるが、仮に右拡散が発生したとしても以下に述べるとおり債権者らの主張は理由がないといわなければならない。

すなわち、〈証拠〉によれば、自然環境における無機水銀化合物のメチル化については、現在までの研究により、太陽光による光メチル反応、微生物によるメチル化反応が存すること(光メチル反応及び微生物によるメチル化反応が存することは当事者間に争いがない。)が明らかにされているが、未だその全体の解明までには程遠い状況にあること、しかし、これらの研究により、メチル化反応の発生要件としては、最小限度水銀源(無機水銀化合物)とメチル基源が必要であり、メチル化反応の促進要素としては、一般的に、日光・紫外線の照射、曝気等の好気的状態(好気性微生物の金属化合物に対する酸化作用等の活動を活発化させるものと思われる。)(曝気がメチル化を促進することは当事者間に争いがない。)が挙げられ、一方、その抑制要素としては、海水(無機水銀化合物が海水中で化学的に安定な錯化合物あるいは複塩を形成してメチル化反応を不活性にするものと思われる。)(海水中より淡水中の方がよりメチル化が促進されることは当事者間に争いがない。)、底質中の硫化物の存在(活性な無機水銀化合物をメチル化反応が不活性な硫化水銀に変化させるためと思われる。)が挙げられていること、水俣湾底泥中の無機水銀のほとんどが、メチル化反応を起こさない硫化水銀の形態で存在していると考えられているところ、硫化水銀も硫黄バクテリアによりメチル化反応に活性な硫酸水銀に変化させられたうえ、メチル化が起こりうること、湾内に都市下水道等が流入していることにより、メチル基源の供与が認められること(都市下水にメチル基源が含まれていることは当事者間に争いがない。)(このことから硫黄バクテリアの生育できる干潟になるような場所でのメチル化の可能性が存することが窺える。)、また、硫化水銀は、硫黄バクテリア以外の原因でも硫酸水銀に変化して可溶化し、メチル化し易い状態になる旨の実験報告もなされていること、(このことから硫黄バクテリア以外の原因でのメチル化の可能性も存することが窺える。)が一応認められるものの、右各証拠(甲第一号証のうち後記信用しない部分は除く)によれば、一般的には、自然界において発生するメチル化反応における無機水銀に対するメチル水銀の生成率は極めて小さく、極微量であると考えられていること、自然環境においては無機水銀のメチル水銀化と同時にメチル水銀の無機水銀化も進行すること、水俣湾底泥中の無機水銀は、メチル水銀化不活性の条件(ほとんどが硫化水銀の形態であること、海水中であること、紫外線は海水表面近くではほとんど吸収されてしまうこと等)が整つているため、一般的にはほとんど水銀化する可能性はないものと考えられており、また、このことは水俣湾底泥を用いた光メチル化反応の実験、底泥中の微生物によるメチル化の調査等によつても裏付けられていることが一応認められ、〈証拠〉のうち右認定に反する部分は右各証拠に照せばにわかに措信できず、他に右認定を覆えすに足る疎明はなく、しかして右各事実を総合して判断すれば、水俣湾内の干潟になるような場所等において無機水銀のメチルが起こる可能性は否定できないが、仮にメチル化反応が発生したとしても、到底魚介類のメチル水銀蓄積に影響を及ぼす程の量のメチル化反応が発生するとは考えられず、他に債権者らの主張を認めるに足る疎明もないのである。

3 海水汚泥による魚介類のメチル水銀蓄積

(一) 債権者らは、本件事業により八代海の海水が水銀によつて汚染されると、そこに棲息する魚介類はこれら水銀を吸収して蓄積すると主張するところ、これまで検討してきたところによると、本件事業により八代海の海水が水銀によつて汚染されるとは到底認められないのであるから、債権者らの主張は右の点においてすでにその前提を欠くものであるが、なお、以下に述べるとおり、魚介類のメチル水銀蓄積過程に関する債権者らの主張も理由がないといわなければならない。

(二) 溶存態水銀の吸収

債権者らは、水俣湾底泥による海水汚染によつて魚体内に溶存態水銀の吸収蓄積が起こり易いと指摘するので検討するに、溶存態のメチル及び無機水銀が鰓等の上皮組織を通じて魚介類の体内に吸収蓄積されることは当事者間に争いはなく、〈証拠〉によれば、魚介類の溶存態水銀の吸収の経路としては、鰓呼吸、消化器、体表による経路が考えられ、海水中に棲息する魚類については、鰓による吸収蓄積が最も大きいものとされること、その吸収率はメチル水銀と無機水銀とで異なり、濃縮係数(海水中の濃度分の魚体内の濃度)は無機水銀の場合数十程度であるのに対し、メチル水銀では一、〇〇〇〜一〇、〇〇〇という高係数であることが一応認められ、右の事実によれば、海水中のメチル水銀濃度が現在の検出限界値(0.0005ppm)以下の濃度であつても一応魚介類のメチル水銀蓄積が問題となるものと考えられる。しかしながら、水俣湾底泥中の水銀は、浚渫工事等による機械的な力を加えてもほとんど溶出しない性質を有し、問題となる底泥中のメチル水銀も同様な性質をもつとともに、その堆積量は非常に少なく極微量と考えられることは前判示のとおりであり、また、〈証拠〉によれば、水俣湾の水銀汚泥を懸濁した中での魚介類の飼育実験においても魚介類には水銀蓄積がほとんど認められなかつたと報告されていることが一応認められ、右の各事実によれば水俣湾底泥をたとえ攪拌させたとしても、これによつて魚介類が溶存態水銀の吸収によりメチル水銀や無機水銀を吸収蓄積する蓋然性があるとは到底認められず、他に債権者らの主張を認めるに足る疎明もないから、債権者らの右主張は理由がない。

(三) 含水銀浮遊微粒子の吸収蓄積

債権者らの主張は魚体内に含水銀浮遊微粒子の吸収蓄積が起こりやすいことを前提とするものであるから、右の点について検討するに、〈証拠〉によれば、魚介類を含む生物一般について、これらの生物が体内に化学物質を取り込む場合には、それが上皮組織であろうと消化管であろうと必ず生体膜を通過させなければならないところ、生体膜は分子量の大きい化学物質や水に溶けない物質を通さない性質を有するため、含水銀浮遊微粒子等がそのまま生体内に吸収されることはありえないと考えるのが一般的であること、水俣湾の水銀汚泥を懸濁した中での魚の飼育実験においても、魚体内の水銀蓄積がほとんど起こらず、鰓等の上皮組織からの粒子態水銀の吸収蓄積は認められなかつたと報告されていること、水俣湾の底泥は、底泥と水銀とが強く結びつく性質のものであること(このため含水銀浮遊微粒子が餌とともに食べられたとしても、水銀は消化器の中でも分解、離脱し難いものと考えられ、また仮に底泥から離脱したとしても前記のとおり不溶性の硫化水銀が主であるため魚体内に吸収されることはほとんどありえないものと考えられる)ことが一応認められ右認定を覆えすに足る疎明はない。しかして、以上の事実及び判断によれば、水俣湾底泥から含水銀浮遊微粒子が海水中に拡散されたとしても、これが魚体内へ吸収蓄積される蓋然性があるとは到底認められない。

なお、甲第一号証は一応債権者らの主張に副うものであるので、付言するに、同号証は水俣湾の動物プランクトンの水銀値の測定を基礎とする研究報告であるところ、〈証拠〉によれば、右の測定値は動物プランクトンの採取方法に問題があるため一般的には信用できないとする見解が多いことが一応認められ、しからばこの事実と前記認定の各事実に照らせば、右甲第一号証をもつて債権者らの主張を認めることはできず、他に債権者らの主張を一応認めるに足る疎明もないので、債権者らの前記主張は理由がないといわなければならない。

(四) 食物連鎖によるメチル水銀の濃縮について

債権者らは、食物連鎖によつて魚体内にメチル水銀が濃縮されると主張するので、検討するに、〈証拠〉によれば、食物連鎖とは、植物プランクトンが動物プランクトンに、動物プランクトンが小魚類に、小魚類が大魚類にと次々に捕食される連鎖的関係をいうもので、このような連鎖の結果、毒物等が捕食されるたびに濃縮され、最終消費者に予想外の濃縮・蓄積が起こることがあり、その関係で問題にされていること、食物連鎖による濃縮については、DDT等の有機塩素化合物が水草等から魚介類を経て鳥類に高濃度に濃縮・蓄積される事実が判明しており、PCBについても同様の結果が報告されていること、メチル水銀についても、魚類が食物を介してメチル水銀を体内に吸収することは異論のないところであり、新潟水俣病の場合には、阿賀野川の淡水生物へのメチル水銀の生物濃縮が食物連鎖によつて生じたものと説明されており、海水に棲息する魚類についても食物連鎖によるメチル水銀濃縮が起こるとする見解もあり、その一例として、水銀に汚染されていない地区に棲息するマグロやメカジキに高濃度のメチル水銀が蓄積されていることが掲げられていることが一応認められる。

しかしながら、〈証拠〉によれば、阿賀野川の例は淡水魚に関するものであるところ、海水に棲息する魚介類はその体液に比べて外の海水の浸透圧の方が高いという特殊な条件下で棲息するため、その生理的機能が淡水魚と異なること(このことから淡水魚の例をもつて直ちに海水に棲息する魚介類に類推することはできないと考えられる。)、また、マグロやメカジキのメチル水銀蓄積の原因についても、未だ定説がたてられるには程遠く、これを説明するいくつかの仮説の一つとして食物連鎖が掲げられているにすぎないこと、海水に棲息する魚介類の水銀に関する食物連鎖について、植物プランクトンから動物プランクトンを経たカタクチイワシ、植物プランクトンから動物プランクトンを経たニシン等につきいくつかの自然海域での調査研究がなされたが、いずれも食物連鎖による水銀の濃縮はほとんど認められなかつたと報告されていること、また、メチル水銀を含む動物プランクトンをマダイ等に与えた実験でも、問題になる程度のメチル水銀の濃縮は認められなかつたこと、さらに、水俣湾における調査でも、動物プランクトンと魚類との水銀濃度には大きな相違がないと報告されていること(このことから、同湾では現在食物連鎖による濃縮がほとんど起こつていないことが窺える。)が一応認められ、右認定を覆えすに足る疎明はない。

しかして、以上の事実を総合すれば、海水中のメチル水銀が食物連鎖によつて魚介類に高濃度に濃縮・蓄積される蓋然性があるとは容易に認め難く、他に債権者らの主張を認めるに足る疎明はないから、債権者らの前記主張は理由がない。

(五) 魚体内での無機水銀のメチル化について

債権者らは、魚体内に吸収された無機水銀は、体内でメチル化されると主張するので、検討するに、〈証拠〉によれば、動物体内における無機水銀のメチル化については、学界でも賛否両論があり、これを否定する見解が有力であるが、生体内でのメチル化が可能であることを示す実験例がいくつか報告されていること、しかし、これらの実験も生体内メチル化の確証をうるには至つていなかつたが、近年、ラット及び魚類に放射性無機水銀を与えたところ、生体内でのメチル化が認められ、それは腸内細菌の作用と考えられるとする有力な実験報告がなされたこと、また、無機水銀汚染しか認められない河川の魚類から体内水銀量の約六割を占めるメチル水銀が検出された例や、酢酸フェニール水銀取扱い者の頭髪に高濃度のメチル水銀を検出した例等の生体内でのメチル化を窺わせる報告がなされていることが一応認められ、以上の事実によれば、魚体内で無機水銀がメチル化が起こる可能性を否定することはできない。

そこで、仮に魚体内に吸収された無機水銀が生体内でメチル化されたとした場合、どの程度のメチル水銀が蓄積されるかが問題となるところ、〈証拠〉によれば、生体内でのメチル化が生じるとする研究例でもそのメチル化の程度は吸収されている無機水銀のうち極く微量についてしか発生しないと報告されていること、生成されたメチル水銀も日々排泄されることが一応認められ、また、水俣湾底泥中の無機水銀はほとんど魚体内には吸収されないこと、メチル水銀は生体内で無機水銀化される傾向があることは前記のとおりであり、しかして右の各事実によれば、仮に生体内でのメチル化が生じたとしても、問題となる程度のメチル水銀の蓄積が生ずるものとは到底認められず、結局債権者らの主張は採用できない。

4  以上の認定及び判断したところによれば、債権者らの主張する経路で、水俣湾底泥から海水汚染を介して魚介類にメチル水銀が蓄積される蓋然性は認められないのである。しかしながら、水俣湾へのメチル水銀の流入が全く考えられなくなつた昭和四三年以降も現在に至るまで、水俣湾内に棲息する魚介類は、その一部の魚種について暫定的規制値を超えるものもみられるなど、他水域の魚介類に較べてメチル水銀によつて汚染されていることは明らかであり、また、その原因につき一般を納得させうる研究や実験等が未だなされていないとしても、少なくともその原因が水俣湾底泥の影響以外に考かられないことも明からである。したがつて、現在の科学において右汚染の原因が明らかにされない以上、本件事業の計画はより慎重な手続を経て決定され、同計画においては、できうる限り、海水及び魚介類の水銀汚染の可能性を一つ一つ避ける工事工法を採用し、また、右汚染を防止する施設ならびに監視体制等につきより安全な施策を講じることが必要であるといわなければならない。以下、右の点に関し債権者らが問題点として指摘する点につき検討する。

五本件事業の問題点について

1 一般的な問題点について

(一) 民主的手続の懈怠

債権者らは、本件事業計画は、資料を住民に開示して環境に対する影響を十分に説明すべき民主的手続を欠いて決定されたものであると主張するので、検討するに、〈証拠〉によれば、本件事業は、その計画案の段階から、その留意事項として地元関係者、地元関係機関に事業計画を十分に説明し、その了解をうべきことが規定され、これに従つて、債務者県は、昭和四九年一〇月から昭和五二年末までの間、右事業に関し最も関係の深い水俣市を中心に漁業関係者、一般市民等の関係住民及び水俣市議会、出水市議会等の関係団体に対し、合計五五回にわたる説明会を行つたこと、右事業の危険性を危虞する団体等から公開質問状、申入書等が提出されたが、債務者県はこれらに対し概ね文書をもつて詳細に回答していたこと、水俣市議会、熊本県議会では右事業に対する関心も高く、各議会において右事業の問題点等に対する質疑等が度々行われたが、債務者県はこれらの質問に対し詳細な説明をなしていたこと、水俣市議会はこれらの説明に基づき審議した結果、右事業の安全かつ早期の実施を要望する意見書を全員一致で可決し、右事業の前提となる水俣湾の公有水面埋立にも異議のない旨議決したこと、右事業に最も利害を有すると思われる水俣市漁業協同組合は、債務者県と工事に関する漁業補償の協定をなしたうえ、右事業の実施には異議のない旨の意見を表明していること、また、公有水面埋立免許に関しての関係図書の縦覧は、公有水面埋立法に従い適法に行われたことが一応認められ、右認定を覆えすに足る疎明はない。

以上の事実によれば、債務者県は、右事業に関して関係住民らの同意をうるための十分な努力を行つたというべきであるから、債権者らの右主張は、その余の点について判断するまでもなく採用しえない。

(二) 水俣湾底泥の事前調査

債権者らは、水俣湾底泥の事前調査が不十分であると主張するので検討するに、水俣湾の処理対象汚泥量が約七〇万立方メートルから約一五〇万立方メートルに変更されたことは当事者間に争がなく、甲第一一八号証の一〇によれば、新潟大学工学部土木学科助教授鈴木哲は、昭和五三年八月水俣湾周辺部の底質中の水銀濃度を調査したところ、浚渫予定地外から底質除去基準である二五ppmを超える総水銀が検出された旨の報告をしていることが一応認められる。

しかしながら、〈証拠〉と弁論の全趣旨によれば、債務者県は、昭和四六年から同四八年にかけて、当時の一般的な採泥法であるコアボーリング採泥法により、水俣湾底泥の層厚、土量、総水銀の分布状況等の調査を行つていたが、昭和四八年八月に環境庁から底質の調査方法が示された(環境庁水質保全局長通達「水銀を含む底質の暫定除去基準」)ため、その頃から右調査方法により総水銀の分布調査を行い、その結果処理対象汚泥量が約七〇万立方メートルと定められたこと、右調査方法とは、水俣湾及びその周辺は二〇〇メートルメッシュに区切り、その交点三四二地点を採泥地点とし、その各地点についてエクマンバージ採泥法により底質を三回採取し、これらを混合したものを分析して総水銀値を求め、さらに各メッシュの交点の測定値の平均値を算出し、この平均値をもつて当該メッシュ内底質の総水銀濃度とするものであつたこと、ところが、底泥の分析結果から、両採泥法とも底質の表層極軟弱部分の採泥が正確にできないことが判明したため、潜水夫によるパイプ採泥法を用いて補完調査を行い、その調査結果に基づき、昭和五〇年三月処理対象汚泥量の変更が行われたこと、底泥の調査については、右のほか底泥中のメチル水銀濃度及び底泥中の水銀化合物の種類、性質等に関する調査も行われていること、前記鈴木助教授の底質中水銀濃度調査は、エクマンバージ採泥法によつてなされたものであるが、単独地点の水銀濃度を分析したものと思われており、メッシュ内の平均値を算出した債務者県の調査とは判定方法が異なること、水俣湾底泥の水銀濃度は、必ずしも平均的に分布しているものではなく、近接した採泥地点の分析結果が大きく異なることもよく見受けられ、債務者県が昭和五四年九月に、鈴木助教授の採泥地点とほぼ同一の地点で採泥調査したところでも、鈴木助教授の結果より低い値が分析されていること(これらの事実から単独地点の分析のみでは底泥中の水銀分布が判然としないことが窺える。)、また、債務者県は、工事実施の際は底泥中の水銀分布についてさらに調査、検討を行いつつ工事を施工する計画であることが一応認められ、右認定を覆えすに足る疎明はない。

以上の事実によれば、債務者県の水銀に関する水俣湾底泥の事前調査が不十分であるとは到底いえず、また、処理対象汚泥量の変更は、純然たる技術理由に基づくものであり、鈴木助教授の調査もこれのみでは債務者県の調査が不十分であることを示すものとはならないといわなければならないところ、他に債権者らの前記主張を認めるに足る疎明はないのであるから、債権者らの主張は採用しえない。

(三) 底質の除去基準

債権者らは、本件事業において、二五ppm以上の総水銀を含む底質のみを除去することにしているのは不当であり、処理されずに残る二五ppm未満の水銀を含む底質も安全であるということはできないと主張するので、以下右主張の当否について検討する。

水俣湾事業及び丸島港事業とも、底質の除去基準は総水銀二五ppmであり、これ以上の水銀を含む汚泥のみを処理の対象としていることは、前判示のとおりであり、〈証拠〉によれば、底質の除去基準総水銀二五ppmは、環境庁が昭和四八年八月に定めた「水銀を含む底質の暫定除去基準」(環水管第一七七号環境庁水質保全局長通達)に基づいて算定されたものであること、右除去基準は、海底に静止している水銀を含む底質が人間の健康に支障を及ぼさない最少限度のレベルを求め、これをもつて除去基準としたものであること、すなわち、底質中の水銀が溶出、拡散、混合し、または粒子状で浮遊した条件下で魚介類が棲息し、これらが水銀を摂取し蓄積していくものと想定し、この蓄積量が食品の規制値を超えない限度の底質中の水銀濃度を定めたもので、その計算根拠として、食品の規制値を厚生省が昭和四八年六月に定めた魚介類の水銀の暫定規制値総水銀0.4ppmとし(これが合理的な基準であることは、前判示のとおりである。)、これに食品バランス、生物濃縮、底質からの水銀の溶出、拡散混合等の要素を加味して決定したもので、次の計算式により算出されるものであること、

そして、右除去基準に定められた方法により水俣湾における右の数値を求めると△H=2.23, J=0.00016, S=50 となるところ、右除去基準では、安全率の決定につき地域的な食生活等の特殊事情を考慮すべきものとされていることから、水俣湾周辺住民が過去に多量の水銀による汚染を受けている事実があり、また食慣習として大量の魚介類を摂取する事情にあることを考慮し、安全率を最大値である一〇〇と定め、その結果除去基準値を二五ppmと決定したこと、丸島漁港については、漁獲が行われていないため右除去基準の適用はないのであるが、水俣湾に準じて二五ppmを除去基準と決定したことが一応認められ、右認定を覆えすに足る疎明はない。

以上の事実によれば、本件事業における底質の除去基準が安全性の観点からみて不合理であるとは到底認められず、他に債権者らの前記主張を認めるに足る疎明もないので、債権者らの主張は採用しえない。

(四) 社団法人日本埋立浚渫協会の指摘

債権者らは、社団法人埋立浚渫協会が汚泥浚渫工事の工法等につき各問題点を指摘したことから、本件事業は海水の汚染防止の基本的事項についてさえ技術上安全性に疑問があると主張するので、検討するに、同協会が堆積汚泥の処理、処分につき調査研究をし、債権者らの主張する各項目につき指摘したことは当事者間に争いがない。しかしながら、〈証拠〉によれば、右調査研究は、堆積汚泥の処理処分工事の参考書として、右調査研究がなされた昭和四九年当時までの施工例等をもとに、汎用的に適用できる処理処分技術を取りまとめようとしたもので、その処理処分技術が、一般的な施工指針となるよう、より充実させ、さらに、一般技術者にも用いうる技術基準のものにするために今後調査研究すべき重点事項として前記指摘がなされたものであること、そして、これらの重点事項については今後の施工例において個々に解決された技術を集大成することによつて完成する趣旨であることが一応認められ、右認定を覆えすに足りる疎明はなく、右事実に照らせば、前記の社団法人日本埋立浚渫協会の指摘があつたという事実のみでは、本件事業による工事が技術面で安全性を保障されないものであることを認めることができず、他に債権者らの主張事実を認めるに足る疎明もないから、債権者らの主張は理由がない。

2 工事工法の問題点について

(一) 債権者らは、本件事業の工事は、水銀等の環境汚染物質を含む底泥を大量に攪拌し、その結果大量の濁りを発生、拡散させるものであると主張し、仮締切堤工事、護岸工事、浚渫工事における各工法の各問題点を指摘するので、以下順次検討を加える。

(二) 仮締切堤工事

債権者らは、仮締切堤の位置及びその工法からみて、仮締切堤が完成しても、水俣湾内の潮流を減速させて、工事により発生した濁りの沈降を促進させ、もつてその拡散を防止するという所期の目的は達せられず、かえつて、仮締切堤工事により高濃度の水銀を含む底泥を大量に巻き上げ、その結果大量の濁りを拡散させることになると指摘する。

よつて検討するに、仮締切堤の設置目的が債権者らの主張のとおりのものであることは前判示のとおりであるが、〈証拠〉によれば、水俣湾内の潮流は、落潮時に北側湾口部から湾内に流入し、湾内海水とともに南側湾口部から流出し、漲潮時には南側湾口部から湾内に流入し、その一部は北側湾口部から流出して、水俣湾は潮汐による海水運動の通路的役割をなしていること、北側湾口部の最大潮流速度は毎秒三三センチメートルで南側湾口部のそれ(毎秒二八センチメートル)より速いこと(以上の事実と仮締切堤の位置とを併せ考えると仮締切堤の設置によつて湾内の潮流速は相当減速させられることが窺える。)、債務者県及び新日本気象海洋株式会社の計算によれば、仮締切堤を設置して北側湾口部を遮断した場合の湾内の潮流速の減速の程度は約三〇パーセントであり、特に仮締切堤及び埋立護岸付近ではそれ以上の潮流速の減少が生じると報告されていること、仮締切堤設置個所の底質は、ほとんど員がらまじり砂で、巻き上りが起きやすいシルト分及び粘土分は僅かしか含まれていないこと(これは濁りが発生し難い状況であるといえる。)、しかも、底質中の総水銀濃度は約七〜八ppmと低い濃度であること、仮締切堤工事のうち、底質からの濁りの発生が特に問題となるのは、基礎工事であるところ、同工事の大部分は底質の巻き上りを防止するため、潜水夫によつて海底に布を敷き(敷布作業を行うことは当事者間に争いがない。)、その上に基礎捨石を投下し、これを潜水夫の均し作業によつて積み上げていくという工法が採られること(これは濁りの発生を極力押えた工法といえる。)が一応認められ、右認定を覆えすに足る疎明はない。

右の事実によれば、仮締切堤がその目的を十分果しえないとか、工事によつて大量の底泥の巻き上げ及び濁りが発生するといつたことは到底認められず、他に債権者らの主張を認めるに足る疎明もないから、債権者らの前記主張は理由がない。

(三) 護岸工事

債権者らは護岸工事によつて高濃度の水銀を含む底泥を大量に攪拌させ、その結果汚泥中の間隙水の海水への混合及び大量の濁りの発生、拡散をもたらすと指摘する。

よつて検討するに、護岸工事の大部分は、まず工事海域へ敷砂を散布し、次にサンドドレーン工法及びサンドコンパクション工法により地盤の改良を行い、最後に鋼矢板セル工法または二重鋼矢板工法により本体工事を行うものであることは前判示のとおりであり、〈証拠〉によれば、護岸工事の行われる区域は、汚泥が約一メートルから二メートルの層をなし、その総水銀濃度はいずれの場所においても汚泥の除去基準である二五ppmを超え、その中には約二五〇ppmに及ぶ高濃度汚染区域も含むこと、また、護岸工事の行われる区域の汚泥はシルト分及び粘土分が多いため、外部的な力を加えた場合、巻き上り拡散されやすい性質を有していることが一応認められる。

しかしながら、〈証拠〉によれば、敷砂工事は、その後に施工される工事によつて底質が撹乱されるのを防止することを目的として、サンドレーン工事及びサンドコンパクション工事を施する地域全域に亘り、厚さ二メートルの敷砂を施し、さらに、敷砂表面を平担に仕上げて後続する護岸工事のための施工基礎盤とするものであること敷砂の散布による濁りの発生については、比較的濁りの発生が大きいものとされるガット船を使用して昭和五〇年に徳山湾(底泥の性質はシルト分等が多く、水俣湾同様攪拌され易い)で行われた施工例では、施工地点から一〇〇メートルの距離で濁度の増加は僅か〇〜一ppmであつたこと、サンドドレーン工法及びサンドコンパクション工法(本件工事の場合、底泥の巻き上がりを防止するため、予め右敷砂工事が施されているのであるから、濁りの発生が少ないものと一応予測される。)は、護岸設置区域が軟弱地盤であることから、その改良のため行われるものであつて、いずれも振動機でケーシングと呼ばれる中空鋼管を地盤に打ち込み、それを使用して砂を押し込め、地盤内に砂の杭を作るものであるところ、サンドドレーンの工事による濁りの発生の程度は、前記徳山湾の例では工事地点から五〇メートルの地点でも工事前に比較し濁度にほとんど差違がみられず、一〇〇メートル地点では全く影響が認められなかつたこと、サンドコンパクション工事の場合は、サンドドレーン工法と異なり、ケーシング打ち込み後、さらにその下端に取付けた振動機により軟弱地盤中に砂を圧入し、ケーシングの直径より大きな砂の杭を作るものであつて、若干濁りが生じ易いものの、前記徳山湾の場合では工事地点から五〇メートルの地点で濁度増加四〜七ppm程度、一〇〇メートルの地点で濁度増加三〜四ppm程度でしかなかつたこと、また、サンドコンパクション作業の際発生する汚濁の拡散範囲について、債務者県が電子計算機による数値シミュレーションの手法を用いて予測したところ、濁度増加は工事地点から七五メートルの地点で六ppm、一五〇メートルの地点で五ppmという僅かな程度であつたこと、鋼矢板セル工法による本体工事は、直線型鋼矢板を予め組み合わせて円筒形のセルとし、これを工事地点に運び、地盤に打ち込んだその後その中に砂を詰めて自立させ、このようなセルを次々につなぎ合わせて壁体とするもので、この場合も前記敷砂工事が予め施されていることにより底泥の巻き上がりが防止されているものであつて、そのうえ、鋼矢板セル打込みはバイブロハンマーによつてなされるため底質からの濁りの発生はほとんど起こらないものと考えられること、ただ、セルの中詰砂投入時に投入する砂自体による濁りの発生が予測されるが、これまでの例では良質の砂を使用すれば大きな濁りの発生はなく、他の施工例ではセル周辺部の表層海面の濁度が五ppm程度上昇したものの、海底附近での濁度変化がなかつたこと、二重鋼矢板工法も、濁りの発生に関しては、鋼矢板打込によるセル工法と同程度か、もしくはそれ以下と考えられていること、護岸工事の最盛期には大型作業船(杭打船、起重機船等)約一二隻のほか、小型附属船等約四〇隻程度が水俣湾内で作業することになるが、これらの船舶は必ずしも同一の場所で作業するわけではなく、また、定位置での作業も多いこと(したがつて、これらの作業船等のスクリューによる底泥からの濁りの発生は問題となるものではないことが予測される。)、また、サンドドレーン、サンドコンパクションの砂を通じて汚泥からの間隙水の溶出が多少予想されるものの、一般にその量は微量と予測されていることが一応認められ、右認定を覆えすに足る疎明はない。

以上の事実を総合すれば、護岸工事区域の底泥が巻き上り拡散されやすい性質であることを考慮しても、本件護岸工事による底泥からの濁りの発生は僅かなものであり、また、間隙水の溶出も微量なものであると予測することには相当な根拠があり、到底大量の濁りの発生及び間隙水の溶出があると予測することはできず、他に債権者らの主張事実を認めるに足る疎明もないから、債権者らの前記主張は理由がない。

(四) 浚渫工事

債権者らは、水俣湾、丸島漁港の浚渫工事によつて底泥からかなりの量の濁りが発生することになると主張するので、検討するに、浚渫工事は水俣湾及び丸島漁港の総水銀二五ppm以上の高濃度に汚染された大量の汚泥(約七九万一七〇〇立方メートル)をカッターレスポンプ船で浚渫し埋立地に送泥する作業であつて、水俣湾丸島港事業の中心的な作業であることは、前判示のとおりであるところ、〈証拠〉によれば、水俣湾浚渫工事区域の底泥はシルト分及び粘土分の割合も多く攪拌され易い性質を持つものであるが、しかしこの作業に使用するカッターレスポンプ船は、環境保全の観点から底泥浚渫工事による濁りの発生を極力防止することを目的に開発された浚渫船であつて、濁りを拡散させずに浚渫する特殊吸収装置、及び濁りの発生の有無等を監視する水中テレビ、濁度計を備えたものであり、右浚渫船による浚渫中の水質の実測結果によれば、その周辺部の海底部分で二〇〜三〇ppm、表層で一〜三ppm程度の濁りを発生させるに止つたこと、前記徳山湾でのカッターレスポンプ船による浚渫例では、浚渫地点から二五メートル、五〇メートル、一〇〇メートル、二〇〇メートルの各地点において濁度の変化はみとめられず、濁りの発生はほとんど認められなかつたこと、また、債務者県が浚渫工事による汚濁の拡散状況を電子計算機による数値シミュレーションの手法を用いて予測したところ、懸濁物質量の発生量を過去のカッターレスポンプ船の実績の二倍とし、水銀濃度の最も高い水俣湾湾奥部の工事の場合について計算してみても、一般水域と工事水域の境界付近における濁度の増加は0.1ppm程度に過ぎないことが一応認められ、右認定を覆えすに足る疎明はない。

以上の事実によれば、本件浚渫工事は、汚泥の攪拌及び濁りの発生を極力抑えた工法で行われることから、これによる濁りの発生は僅かな量に止まると予測することには相当な根拠があり、到底大量の濁りが発生すると予測することはできず、他に債権者らの主張事実を認めるに足る疎明もないから、債権者らの前記主張は理由がない。

(五) 以上の検討結果によると、本件事業の工事によって、底泥が大量に攪拌されて、その結果大量の濁りが発生する蓋然性は認められず、この点に関する債権者らの主張はすべて理由がないといわなければならない。

3 二次公害防止施設の問題点について

(一) 余水処理

債権者らは、水俣湾内へ放流される余水及び降雨により同湾内へ流出する埋立地内の余水中には、五ミクロン以下の水銀を含んだ微粒子及び埋立地でメチル化したメチル水銀が含まれており、湾内が水銀によつて汚染される虞れがあると主張する。よつて検討するに、まず、余水の処理は、埋立地において土粒子を沈殿させた後、上澄みを水を余水処理施設内の凝集沈殿池へ導き、再び沈殿させて放流するか、もしくはさらに急速濾過槽で処理のうえ湾内に放流するものであることは、前判示のとおりであり、〈証拠〉によれば、余水処理の一般的な目的は余水の中に残存している土粒子を除去するところであるところ、水俣湾の底泥中の水銀はそのほとんどが水に溶解し難い形態(固体)の状態で存在していること(このため余水処理として土粒子を除去すれば水銀も除去されるものと考えられるし、水俣湾の汚泥を用いて余水をつくり、これを凝集沈殿及び濾過する実験をなしたところ、総水銀濃度は凝集沈殿では余水吐の監視基準0.005ppmを下まわり、濾過の場合は検出限界(0.0005ppm)以下となる結果をえたこと、また、四日市港で油と水銀を含む汚泥の処理、徳山港で水銀を含む汚泥の処理がそれぞれなされたが、その際、濾過の方法もしくは凝集沈殿及び濾過の方法で余水処理がなされたところ、各処理後放流された余水は規制値(総水銀0.005ppm)以下であつたことが一応認められ、右認定を覆えすに足る疎明はない。

以上の事実によれば、湾内に放流される余水中に含水銀微粒子が含まれる蓋然性があるとは到底認められない。

次に、埋立地内、余水処理場での無機水銀のメチル化の危険について考えるに、底泥中の無機水銀が干潟になるような場所でメチル化する可能性は一応あるが、仮にメチル化が生じたとしても、魚介類のメチル水銀蓄積に影響を及ぼす程度の量に至るものとは考えられないことは、前判示のとおりであり、そのうえ、乙第六号証によれば、本件工事において、埋立地は常時湛水して汚泥の曝気と太陽光線の照射を避けることとし、さらに都市下水、雨水等が背後から埋立地に流入することのないよう排水路を付け替えることとしていること、余水処理は凝集沈殿あるいは急速濾過装置で行うため、太陽光の照射及び曝気されることはほとんどないことが一応認められ、右の事実によれば、埋立地及び余水処理場は、メチル化反応不活性の条件が整い、干潟になることもないため、そこでのメチル化がたとえ発生したとしても量的に問題になる程のものではないと考えられる。しからば、余水とともにメチル水銀が排出される蓋然性があるとは到底認められない。

次に、降雨により埋立地内の余水が湾内に流出する虞れの有無について考えるに、〈証拠〉と弁論の全趣旨によれば、埋立地の護岸は、現地盤から高さ約四メートルないし約一四メートルを予定しており、背後地からの工場排水、都市下水、雨水等は直接海域へ放流されて、埋立地へ流入することはなく、浚渫船からの送泥水及び埋立地へ直接降つた雨水のみが埋立地内に貯えられるものであるところ、工事にあたつては、埋立地内の湛水面の高さを常に護岸天端より余裕をもたせ、かつ、浚渫船からの送泥水量を余水処理能力にあわせて調節することになつていることが一応認められ、右認定を覆えすに足る疎明はなく、右の事実によれば、埋立地内の余水が増量して湾内に流出する蓋然性があるとは到底認められない。

以上の認定及び判断によれば、債権者らの前記主張はいずれも理由がなく、その他債権者らの主張を認めるに足る疎明もないので、債権者らの主張は採用できない。

(二) 仕切網及び音響装置

債権者らは、仕切網と音響装置によつては、水俣湾工事水域と一般水域の間の魚介類の移動を阻止することはできず、湾内で高濃度の水銀で汚染された大量の魚介類が八代海に拡散されると主張する。

よつて検討するに、仕切網と音響装置の設置目的は、工事水域と一般水域の間の魚介類の出入りを極力防止することにより、工事による影響が工事水域外に及ぶことを防止しようとするものであること、仕切網は工事水域と一般水域の境界線に沿つて一部開口部を除き、約3.7キロメートルにわたつて二重に設置され、その網目は九センチメートルであること、開口部は航路部として使用するもので、その海底には高さ三メートルの底立網を設置するとともに音響装置(音響による魚群遮断装置)を設置すること、右仕切網と音響装置は昭和五二年後半に設置が完了したことは、前判示のとおりである。

そこでまず仕切網の効果について勘案するに、〈証拠〉によれば、海中に網が張られている場合、魚が網を通過せず網にそつて移動する傾向が見られることもあるが、概ね網の存在は魚の進行を阻止する要因とはならないことが一応認められ、右の事実によれば、仕切網は、同網の網目九センチメートル(網を広げた場合、一辺が4.5センチメートルの菱形状になる。)を通過しうる小型の魚に対しては、進出入を阻止する効力は持たないといわざるをえない。

次に、音響装置の効果について勘案するに、〈証拠〉によれば、プールにおけるコイを使用しての音響による魚道制御実験結果によれば、音響装置は実効五六パーセント(最高九〇パーセント台、最低二〇パーセント台)の効率でコイの魚道通過を阻止しえたとされ(以上の事実は当事者間に争いがない。)、その効果も長期にわたり持続せしめる可能性があると報告されているが、同時に同装置の設計者から、魚はその種類によつて音に対する感受性が異なるため、音に鈍感な魚種や、餌を追つている魚等に対してはその効果が弱まるとの指摘がなされていること、潜水して同装置付近を観察したところによれば、同装置が稼働しているにもかかわらず、その周辺に魚群の存在が見受けられること、また、稼働している同装置の上の海上で釣りをしても、魚獲髙が特に減少するようなことはないことが一応認められる。

したがつて、仕切網及び音響装置は、水俣湾工事水域内外の魚介類の移動を阻止するについて、ある程度の効果を有するものと認められるものの、大きな遮断効果を有するものと考えることはできない。

しかしながら、〈証拠〉及び弁論の全趣旨によれば、昭和四八年から同五一年二月(この間昭和四九年一月に一重の仕切網が設置されている。)までの工事水域及び一般水域の魚類別水銀濃度の分析結果によると、工事水域内には暫定的規制値総水銀0.4ppmを超える魚種が何種類か棲息しているが、水俣湾付近の一般水域には個々的には暫定的規制値を越えるものも見られるものの、魚種のごとに見ればこれを越えるものは存在しないこと(これによれば湾内の汚染魚が八代海に拡散していく傾向は少ないものと考えられる。)、音響装置は、その発生音が発音時間、発音間隙、音圧の組合せにより六〇種類の変化が可能であるところ、二カ月ごとに発生音を切り換えて魚の音に対する慣れに対処し、さらに、週一回発音状況の確認を行うとともに適宜効果測定を行い、その結果に基づき発生音の修正を行う等その効果を十分発揮させるための管理がなされること、工事中は、工事の進行を勘案して工事水域内四カ所に捕獲網を移動設置し、概ね一日おきに魚を捕獲して廃棄し、さらに必要に応じて工事水域内魚介類の採捕除去に努める計画になつていることが一応認められ、右認定を覆えすに足る疎明はない。

しかして、以上の事実を総合すれば、仕切網及び音響装置が大きな効果を有するものでないことは否めないが、しかしまた仕切網及び音響装置の欠陥から工事水域内の汚染魚が大量に八代海に拡散される蓋然性があるとも認められず、結局右の点に関する債権者らの主張は疎明がないといわなければならない。

4 監視計画の問題点について

(一) 債権者らは、本件事業の監視計画は、債権者らが水俣病被害を蒙る虞れを防止すべき機能を有していないと主張し、監視体制、各種監視基準値、監視方法等につき問題点を指摘するので、以下順次検討を加える。

(二) 監視体制

債権者らは、本件事業の監視体制は、事業主体が監視主体を兼ねており、また監視委員会についてもその委員の人選方法が相当でないことから、監視体制及び監視委員会はいずれも事業主体から独立しておらず、十分な監視を行いえないと主張するので、検討を加える。

本件事業の監視業務は、事業主体である債務者県が行うものであり、監視の基本的事項の実施に関する重要事項(監視基本計画の変更を含む。)、監視の内容、監視に基づく処置等を検討するため監視委員会が設置されたことは、前判示のとおりであるが、〈証拠〉と弁論の全趣旨によれば、債務者県は、環境庁からの「底質の処理・処分等に関する暫定指針」について(通知)(昭和四九年五月三〇日付環境庁水質保全局長通知)(これは水銀等の有害物質を含む底質の除去工事の実施にあたつて二次汚染の発生を防止すべく、工事の監視等についての当時の技術水準に照らして最も適当と考えられる手法を考慮して、その基本的な条件及び留意事項を一般的な指針として示したものである)に基づき、二次公害の発生の防止を目的として行う水質汚濁及び魚介類の汚染の監視の適正を期するため、学識経験者を含む委員会を設置すべく、熊本県水俣湾公害防止事業監視委員会設置条例(昭和五一年一二月二三日県条例七七号)を制定公布して、地方公共団体の執行機関の附属機関として監視委員会を設置したものであり、同委員会は、その所掌事務についての意思決定を独立になしうるものであること、その任務は、知事の諮問に応じ、監視の実施計画、監視の内容及びこれに基づく処置、監視に関係ある汚泥処理計画の変更について審議し、かつ右事項について知事に意見を具申することにあるものであつて、同委員会の議事は原則として出席委員全員の賛成により決し(必要あるときは出席委員の過半数で決す。)、委員会は公開を原則とする(必要のあるときは委員会の議決で秘密会となしうる。)ことになつていること、そして同委員会は、昭和五二年六月九日、専門学者八名、熊本県議会議員三名、関係住民の代表として水俣市議会議員五名、関係漁協長三名、津奈木町長・出水市長各一名、関係行政機関の職員四名の合計二五名をもつて発足したこと、県は、同年七月七日右監視委員会に対して監視実施計画案を諮問し、同委員会において詳細な検討が行われた結果同年八月二五日原案どおりの答申をえたこと、これにより監視実施計画が決定されたのであるが、監視委員会の意見により、この計画は各工事の施行段階ごとの必要のある場合は修正されてなお一層監視の適正化が図られることになつていること、債務者県は、右監視実施計画に則つた監視業務をなすべく、既に現地水俣市月浦に熊本県水俣湾公害防止事業所を設け、必要な職員を配置し、必要な設備、器具を設置して、必要な事前調査等の業務を行い、監視の体制を整えていることが一応認められ、右認定を覆えすに足る疎明はなく、以上の事実によれば、右事業の監視体制は、公正かつ適正な監視体制を定めている右暫定指針に従うものであつて、右監視体制及び監視委員会が事業主体から独立していないとは到底認められず、他に債権者らの主張を認めるに足る疎明もないから、債権者らの前記主張は理由がない。

(三) 水質の水銀監視基準値

債権者らは、海水中の総水銀の監視基準0.0005ppmは、魚介類の水銀の暫定的規制値総水銀0.4ppmを前提とし、かつ、魚介類の水銀濃縮係数を八〇〇倍と仮定して算出されたものであるところ、いずれの前提も合理性がないため、右監視基準は安全性を保障する基準とはなりえないと主張する。

そこで検討するに、基本監視点における総水銀の監視基準が定量限界値(0.0005ppm)以下であることは、前判示のとおりであり、右監視基準が魚介類の水銀の暫定的規制値である総水銀0.4ppmを前提として算出されたものであることは、当事者間に争いがなく、暫定的規制値が合理的なものであることは、前判示のとおりである。〈証拠〉によれば、右監視基準は、公害対策基本法九条に基づき環境庁が定めた「水質汚濁に係る環境基準」(昭和四六年一二月環境庁告示第五九号・昭和四九年九月一部改正)に規定されている人の健康の保護に関する環境基準に従つたものであること、右環境基準は、環境水中の水銀が魚介類中に濃縮蓄積されて、その結果食品としての許容量(魚介類の水銀の暫定的規制値)を超えてはならないという考え方に基づき、環境水中の水銀許容濃度を求めたもので、次の考察出基づき決定されたものであること、環境庁は、昭和四八年に環境水及びそこに棲息する生物等の水銀値について全国調査を行い、その結果に基づいて環境水とそこに棲息する生物との間の水銀の量的関係・濃度化(海水の水銀濃度分の生物の水銀濃度・生物学的平衡状態では一定値を持つとされている)を求めようとしたが、魚介類中の水銀は必ずしも直接環境水から摂取されるものばかりではなく、プランクトン等を通じて蓄積濃縮される場合も考えられる等実際には生物学的平衡には多くの因子が関与して複雑な内容を持つていることから、右調査結果からは濃度比を明確に把握することができなかつたこと、しかし、魚介類の水銀汚染は水質よりむしろ底質中の水銀含有量と重要な関係があること等の事実が判明し、これらの調査結果から現実的に考察して、水銀含有量の高い底質についてはその除去対策で補完しながら、少なくとも環境水質が0.0005ppmから0.001ppm程度に保たれるならば、十分な安全率をもつて魚介類中の水銀含有量を魚介類の水銀の暫定的規制値以下に止めることができるものと判断されたこと、そしてこの判断に基づき環境基準総水銀0.0005ppmが決定されたものであること、さらに、右監視基準は、前記「底質の処理・処分等に関する暫定指針」に定められた水質の水銀監視基準にも従うものであることが一応認められ、右認定を覆えすに足る疎明はない。

しかして、以上の事実によれば、水質の水銀監視基準は合理的な根拠に基づいて算出されたものであり、これが不合理なものであるとは到底認められず、他に債権者らの前記主張を認めるに足る疎明もないので、債権者らの主張は理由がない。

(四) 余水の排出基準

債権者らは、余水処理における総水銀の排出基準0.005ppmは、水質の水銀監視基準0.0005ppmを基礎にして、環境中に排水を放流すると一般に一〇倍以上に稀釈されると仮定して算出されたものであるところ、水質の水銀監視基準及び排水が一〇倍以上に稀釈されるとの前提事実はいずれも合理性がなく、また、排水中には沈降しない粒子態の水銀が含まれているため、たとえ排水が稀釈されたとしても海水の浄化には役だたず、結局、余水の排出基準には合理性がないと主張する。

よつて検討するに、総水銀についての余水中の排出基準が0.005ppmであることは前判示のとおりであり、右排出基準が、水質の水銀監視基準総水銀0.0005ppmを基礎として、排水は環境水では一〇倍以上に稀釈されることを根拠に算出されたものであることは、当事者間に争いがない。

しかしながら、水質の水銀監視基準が合理的な基準であることは前判示のとおりであり、〈証拠〉によれば、右排水基準及びその判定方法は、水質汚濁防止法に基づく「排水基準を定める総理府令」(昭和四六年六月二一日総理府令第三五号)に準拠するものであるところ、右総理府令の排水基準は、公共用水域に排出される排水は速やかに一〇倍以上に稀釈拡散されることを前提にして、水質の環境基準(総水銀0.0005ppm)の一〇倍の値に設定されたもので、水銀以外の有害物質の排水基準もすべて環境基準の一〇倍と定められていること、またその判定は、排水の最高値が排水基準を超えないことをもつて行われるので、平均的な排水水質は通常排水基準値より低い水準になるものと推定され、より安全性が考慮されていること、前記「底質の処理・処分に関する暫定指針」では、処分地の余水吐から流出する余水の監視基準値を、海洋汚染防止法に基づく「余水吐から流出する海水の水質についての基準を定める総理府令」(昭和四七年六月二四日総理府令第四四号)に示される許容濃度と定め、右総理府令の許容濃度は前記「排水基準を定める総理府令」と同一であること、また、右暫定指針では、排水の水質が監視基準値に適合している場合でも、その影響で工事水域と一般水域の境界における監視基準が維持されないと認められる場合には、余水の水質規制をより強化する等の処置をとるべきことが規定されているところ、債務者県が、電子計算機による数値のシミュレーションの手法を用いて、排水基準値の余水を排出したと仮定し、さらに浚渫地の影響を加えて予測計算したところによると、海水中の総水銀濃度の増加は、右境界においても、水質の水銀監視基準を下回るものと予想されたこと(したがつて、余水の排水基準は右暫定指針の指示条件に従うものであることが認められる。)が一応認められ、右認定を覆えすに足る疎明はなく、また、排水中には沈降しない粒子態水銀が含まれるとの債権者らの主張が理由がないことは、前記のとおり粒子態水銀は余水処理過程で除去されてしまうことが一応認められることから明らかである。

しかして、以上の事実によれば、余水の排出基準は合理的なものであつて、これが不合理なものであるとは到底認められず、他に債権者らの前記主張を認めるに足る疎明もないので、債権者らの主張は理由がない。

(五) 基本監視点の総水銀判定方法

債権者らは、基本監視点の総水銀の判定が一週間の平均値でなされるのは不当であると主張するので検討する。

基本監視点における総水銀の判定が判定日を含む直近一週間の平均値でなされ、その平均値が基準値を超えた場合は直ちに水質に影響のある工事を中断することになつていること、その判定は毎日各基本監視点のそれぞれについて行われることは、前判示のとおりであり、〈証拠〉によれば、基本監視点における水質の水銀監視基準を決定するに当たつて準拠された環境庁の「水質汚濁に係る環境基準」では、年間平均でその基準値を達成維持すべきことが規定されているにすぎないが、水俣湾丸島港事業ではより安全性が考慮された結果一週間の平均値で判定することにされたこと、また、一週間の平均値で判定することは、前記「底質の処理・処分等に関する暫定指針」に規定された判定方法にも従うものであること、さらに、水質の監視は魚介類の水銀汚染を防止するために行われるものであるところ、水質悪化による魚介類への新たな水銀蓄積は、急激に起こるものではなく、その海域が全般的にかつ長期的にわたつて水銀汚染が継続する場合に徐々に生ずるものであること(魚介類の水銀汚染が徐々に生ずるものであることは当事者間に争いがない。)が一応認められ、右認定を覆えすに足る疎明はなく、右事実によれば、基本監視点の総水銀の判定が一週間の平均値で毎日行われることは妥当なものであつて、これが不合理なものであるとは到底認められず、その他債権者らの前記主張を認めるに足る疎明もないので、債権者らの主張は理由がない。

(六) 魚介類の監視

債権者らは、一般水域の魚介類の監視が年四回しか行われないのは妥当性を欠くと主張するので、検討する。

一般水域の魚介類の監視は、特定の魚種を捕獲して水銀の調査を行うもので、年四回行われることは、前判示のとおりであり、水俣病の発生を防止するためには、一般水域の魚介類の水銀汚染を防止することが最も重要であることは当事者間に争いがないが、〈証拠〉によれば、魚介類の水銀汚染は徐々に起こるものであること(前記のとおりこの点は当事者間に争いがない)、メチル水銀を加えた海水中で魚介類を飼育し、その蓄積の速度を調べた実験研究では、工事水域内及び一般水域との境界での監視調査がなされていることを考慮に入れれば一般水域の魚介類の調査は数カ月に一度の調査で十分であるとの報告がなされていること、環境庁の定めた前記「底質の処理・処分等に関する暫定指針」では一般水域における魚介類の調査につき年一回以上と定めているにすぎないこと、水俣湾周辺の魚介類には回遊性のものも多く含まれていることから、魚介類の調査は四季毎の魚種の変化に対応すべき頻度で行われる必要のあることが一応認められ、右認定を覆えすに足る疎明はなく、また、基本監視点等での水質の監視、及び一般水域での魚類の監視調査の参考とするため、工事水域内の魚類(月一度)及び工事施工地点に近接して飼育する魚類(一〇日に一度)の水銀調査、工事水域内外のプランクトン(年四回)の水銀調査が行われたことは前判示のとおりである。

しかして、以上の事実を総合すれば、一般水域の魚介類の監視の回数が年四回であることは十分に合理的なものであって、これを不合理なものであるとは到底認められず、他に債権者らの前記主張を認めるに足る疎明もないので、債権者らの主張は理由がない。

(七) 結論

以上の検討結果によれば、監視計画のうち、一般水域の魚介類の水銀濃度が監視基準である総水銀0.4ppm(メチル加銀0.3ppm)を超えないための方策としては、一般水域における魚介類の監視調査を行うとともに、一般水域との境界上に設けられた基本監視点において、魚介類の水銀蓄積と関係の深い水質の水銀値及び濁度を監視し、さらに、右の監視を予察し工事による影響を早急に把握するために、補助監視点での濁度の測定、工事水域内での魚の飼育調査及び捕獲調査、工事水域及び一般水域でのプランクトンの水銀調査を行う等の右の目的を達するため水質及び魚介類について幾重にもわたつて慎重な監視調査が行われ、その監視基準、監視位置、監視回数、監視基準を超えた場合の措置等の監視条件も右の目的に照して妥当なものと認められる。してみると、水俣湾丸島港事業の監視計画は、債権者ら八代海沿岸住民の水俣病被害発生を防止するための機能を十分果しうるものであつて、これを否定するに足る債権者らの主張及び疎明はないといわなければならない。

六水俣病被害発生の危険性について

以上の検討結果を総合し、本件事業による債権者らの水俣病被害発生の蓋然性についての当裁判所の見解をまとめると、次のとおりである。

水俣病は、メチル水銀を0.17ミリグラム/週/体重五〇キログラムを超えて継続摂取しなければその発病の危険性が認められないものであり、債権者らが右の量を超えてメチル水銀を摂取しないためには、右事業の工事によつて八代海の魚介類の水銀濃度が総水銀で0.4ppm(メチル水銀0.3ppm)を超えて増加しなければ十分であるということができる。ところで、水俣湾及び丸島漁港に堆積している水銀汚泥は、魚介類のメチル水銀蓄積の原因となる危険な存在ではあるが、その危険性は底泥に近接した範囲に止まり、しかも、これを攪拌したからといつて、その周辺の魚介類のメチル水銀汚染が直ちに増大するものではないということができるところ、右事業の工事は、海域を一般水域と工事水域とに分け、現在の汚染区域をすべて工事区域に取り込んだうえ、工事水域内での漁業を停止し、水俣湾においては、その境界には仕切網を張り、開口部には音響装置を設置して魚介類の遊出入を極力阻止するとともに、湾内の魚介類の採捕除去に努める対策を取り、右事業の仮締切堤設置、護岸設置、浚渫等の工事は汚泥の攪拌を極力抑えた工法で行い、さらに主要工事である浚渫工事は、水俣湾事業の場合仮締切堤の設置により湾内の潮流を減速させた後、試験工事による調査を行つたうえで本工事に取りかかる等底泥からの濁りの発生を極力抑えるよう十分な配慮をしつつ行うものであるから、各工事による底泥の攪拌及び濁りの発生は極く小規模なものに止まり、一般水域への影響はほとんど問題にならない程度と予測される。したがつて、工事が進行しても、一般水域内の魚介類が総水銀で0.4ppm(メチル水銀0.3ppm)を超えて汚染される蓋然性があるとは到底認められない。加えて、右各工事は水質及び魚介類等の厳重な監視のもとに行われるものであり、監視体制は一般水域の魚介類が前記総水銀0.4ppm(メチル水銀0.3ppm)の基準を超えないことを目的として、水質、魚介類について幾重にもわたつて行われ、その内容は右目的に照らして十分なものであると認められるので、仮に一般水域の魚介類が水銀によつて汚染される蓋然性があつたとしても、監視調査により事前にこれを察知し、速やかに工事の速度を減ずる等の汚染を回避するための必要な措置を取りうるものと考えられ、しからば、いずれにしても右工事によつて八代海の魚介類が右基準を超える水銀汚染を受ける蓋然性があるとは到底認められない。

よつて、本件においては、本件事業の工事によつて債権者らに水俣病被害が発生する蓋然性の疎明がないというべきである。

七その他の健康被害発生の危険性について

債権者らは、水俣湾及び丸島漁港の底泥中には無機水銀、砒素、鉛、タリウム、マンガン、セレン等の有害物質が含まれていることから、これらの有害物質による健康被害の発生の危険性が存する旨主張するので、検討する。

乙第六号証によれば、水俣湾底泥中には湾内全域にわたつて高濃度の砒素及び鉛が存在していること(昭和四九年の調査で砒素数ppmから最高一八〇ppm、鉛数+ppmから最高四三三ppm)が一応認められる。また、〈証拠〉によれば、債務者チッソ水俣工場は、かつて、工場排水を通じて砒素、鉛、タリウム、マンガン、セレン等を主に水俣湾(一部は丸島漁港)に排出していたことが一応認められ、右事実によれば、水俣湾及び丸島漁港の底泥中には、これらの物質が含有されているものと推定される。さらに、水俣湾及び丸島漁港の底泥中に大量の無機水銀が含まれていることは、前記のとおりである。

しかしながら、〈証拠〉によれば、水俣病患者が発見された当時、熊本大学等において、その発症原因を明らかにするため、債権者らの主張する各物質による人体被害の有無につき詳細な調査研究がなされたが、水俣地区においてこれらの物質による中毒症の例は認められなかつたことが一応認められ、また、債務者チッソ水俣工場が創業を開始して以来現在に至るまで、水俣及びその周辺地区において、右物質による人体中毒の報告例もしくはその潜在的な中毒患者の存在を窺わせるような魚介類または鳥類等の異変が存したことは、これを認めるに足る疎明がない。さらに、砒素、鉛による海水汚濁に対しては、基本監視点及び余水吐について監視が行われ、無機水銀に対しては基本監視点で総水銀の調査を介して監視がなされること、また、水俣湾丸島港事業は底泥の攪拌を極力押えた工法で行われることは前判示のとおりである。

以上の事実によれば、本件事業の工事によつて、債権者らに無機水銀、砒素、鉛、タリウム、マンガン、セレン等による健康被害が発生する蓋然性があるとは到底認められず、他に債権者らの前記主張を認めるに足る疎明もないから、債権者らの主張は理由がない。

八結論

以上によれば、本件仮処分申請は、いずれも被保全権利について疎明がなく、また、事案の性質上疎明にかわる保証をたてさせてこれを認容することも相当でないので、その余の点について判断するまでもなく理由がないといわなければならない。よつて、債権者らの本件申請を却下することとし、申請費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(金澤英一 吉村俊一 宇田川基)

別紙一 当事者目録〈省略〉

別紙二 書証目録〈省略〉

図面(三) 水俣湾表層水銀濃度分布図 〈省略〉

図面(四) 汚泥処理区域及び汚泥層厚図 〈省略〉

図面(五) 丸島漁港表層水銀濃度分析図 〈省略〉

図面(六) 水質監視地点図 〈省略〉

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